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校長先生のお話

2013年04月10日

1学期始業式

 3学期終業式から20日ほどしか経っていませんが、随分学校の雰囲気が変わりました。 講堂棟の改修が終わり、第2グラウンドの人工芝生化もほぼ完成しました。 グラウンドの真ん中には六甲学院のロゴマークが入りました。 外構工事も終わり、緑が随所に植えられてきれいになりました。 そのようなことから学校全体に落ち着きが出てきたようです。 それを受けて浮き浮きした気分になったのは私だけではないのではないでしょうか。 私には今年の桜はことさらきれいに見えました。

昨年一年間は75周年、75周年と言い続けてきました。 そして今、76年目に入りました。 新たな25年の始まりです。 今年卒業した70期生は大学受験、がんばってくれました。 後に続く後輩に大きな自信を与えてくれました。 君たちにとって励みになったことと思います。 そのような昨年度の成果を背景に、力強く希望を持って前に進んでいく年になってほしいと願っています。

さて、年度初めにあたって、今日は“Man for Others”に続く“With Others”について考えてみたいとおもいます。

現在、日本は政治・経済・外交、色々な面で厳しい状況に置かれていることは皆知っていると思います。 それらの状況を打破するために各界の有識者の人たちがそれぞれの立場から提言を出していますが、私が目にした範囲では、立場や力点の置き方はもちろんそれぞれ違いますが、通奏低音のように聞こえてくるのが、「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」の二つです。

「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」、これは“Man for Others With Others”の姿勢とぴたりと一致します。 そういえば、東日本大震災後よく耳にした「絆」はまさに“With Others”そのものですね。

ひとりでも現状を変える力があることはもちろんそのとおりです。 私も1年半ほど前に谷津干潟のごみ拾いをした森田三郎さんの例を紹介しましたね。 鳥が棲息するまでに谷津干潟がきれいになった運動の口火を切ったのは森田さんで、このような人が増えると社会はもっと変わると思います。 ただ、森田さんのやっていることを見て近くに住む主婦が手伝うようになり、賛同者の輪が広がっていったことが大きな成果につながったことも事実です。

“With Others”のOthersには二つの側面があります。 支えてくれる仲間としてのOthersと、立ちあがった人、孤立無援の人を支えるOthersに自分がなること、つまり自分がOthersであること、の二つです。

旧約聖書の「イザヤ書50章8-9」に次のような言葉があります。

「わたしの正しさを認める方は近くにいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか  われわれは共に立とう。
誰が私を訴えるのか  わたしに向かってくるがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めよう。 」

ここでは、正しさを認める「誰か一人」がいること、助けを求める人にとって共に立つ仲間がいること、このような仲間がいれば立ち上がった人は勇気づけられることを説いています。 そして、そのような人間を「主なる神は助けてくださる」と結んでいます。 共感する仲間を作ることとともに、正しさを認める「誰か一人」になることの大事さにも気が付いてほしいと思います。 支えるOthersに自分がなれるようになりたいものです。

少し角度を変えた話をします。 最も感動的で幸福な瞬間を至高体験とか、ピーク経験といいます。 試合で優勝した、志望校に合格した、文化祭や体育祭を成功させた、などのときに味わう感動経験のことです。 至高体験は人間にとって非常に大切な体験で、これにより人間は成長していきます。

至高体験は、たとえば独りで山登りをして感動的な景色を見たときなど、独りで経験する場合ももちろんありますが、日本の子どもを対象にした聞き取りによると、家族や友達など親しい人がいるときに経験することが多いとの結果が出ています。 気心を許せる間柄の人間がいるときに経験することが多いということです。

「人間の成長」という観点からも“With Others”はとても大事な姿勢だということが分かります。 今年は、“Man for Others”の後に続く“With Others”についても意識していってほしいと思います。

毎年、年度初めにこの1年の目標をあげ、目標に向かって君たちにがんばってもらっていますが、今年度の目標は“With Others”に大いに関係する要素である「発信力」をあげることにしました。 つまり、協働のためにはまず自分の考えていることを相手に伝えて理解を得なければならないわけです。 ある国際会議に出席してスピーチをした日本人が、質問が何も出なかったので、自分の話に皆感心していたと思った人がいましたが、これはそうではなく質問がないのは質問するほどの内容がなかった、ということだったのです。 内容のないスピーチ、プレゼンでは相手にされない、つまり共感もされず仲間の輪も広がりません。

そのような意味も含めて、今年は「発信力」を高めることを意識し、さまざまな活動も「発信する場」としての位置づけをしながら積極的に関わってください。

これまで目標にしてきた「挨拶・マナー」や「授業に向かう姿勢」については、良くなりましたが、完璧に達成したわけではないので、これらについても引き続き努力してください。

 では、今年度、力強く希望を持って前を向き、張り切って学校生活を送ってください。

2013年04月08日

入学式式辞

 先週行われた中1オリエンテーションのころには満開であった桜の花も昨日までの雨と風で散々な目にあってしまいましたが、それでもそれにも耐え、一生懸命花びらを維持して今日の入学式を祝ってくれる桜もあり、晴れ渡った絶好の天気とも併せて気持ちのよい入学式を迎えることができました。

 76期新入生の皆さん、ご入学おめでとう。 先週行われたオリエンテーションでは、当初不安で緊張した顔つきの生徒も見受けられました。 新しい生活が始まるときは誰でも多少は不安があるものです。 私が中学に入学した時のことですが、入学式で隣に座っていた生徒から「友だちになってくれる?」と声をかけられたことがありました。 こちらも不安な気持ちがあったので、もちろん「いいよ」と答え、それから彼とは家まで遊びに行くような仲の良い友だちになりました。 いい友だちはすぐできます。 たくさん友だちをつくって充実した学校生活を送ってください。

1937年に設立認可され、38年に第1期生を迎えた六甲中学校はこの3月で75周年となり、今年の4月から76年目に入りました。 つまり、25年を一区切りとして見たとき、六甲は新たな25年のスタートを今切ったことになります。 君たち76期生は新しい25年の歴史を刻む年に入学した学年ということになります。

君たちは先週行われたオリエンテーションのときに廊下の床も磨いたことと思います。 君たちは知る由もありませんが、新校舎の廊下の床は旧校舎と寸分たがわない造りになっています。 卒業生が来てこれを見たとき、これは旧校舎のものを移して使ったのだろうと思った人が何人もいたほどです。 ですが、完成した時点で私が感じた印象は旧校舎の床よりくすんでいるように思えました。 このことについて、新校舎の設計をした設計会社にいるOBに尋ねたことがありました。 そのとき彼は、洗いだしの磨きは人間の手や足で70年にわたって磨きこんできた旧校舎の床とは差があるもので、新校舎の床もこれから生徒が思いを込めて磨いてくれることで初めて完成する、このことを後輩の皆さんにぜひ伝えてください、と書いてくれました。 このとき、彼は同時に、20世紀を代表する彫刻家・造園家として有名なイサム・ノグチの話を紹介してくれました。 イサム・ノグチは、彫刻の石の仕上げ磨きには決まってある年老いたおばさんを指名されていたそうです。 事情をよく知っている生身の温かな人間の手で磨く方が無機質な機械で磨くより存在感のある輝きが得られる、ということでした。

君たちも、75年の伝統のもとで輝いていた旧校舎のように、この六甲での6年間、自分を磨きこんでください。 そして6年間を通して温かみがあり存在感のある輝いた人間に成長していってほしいと願っています。

さて、君たちが入学した六甲とはどのような学校なのでしょうか。

君たちは校舎南の人工芝グラウンドの中央に白いロゴマークがあるのを見たことでしょう。 円形のマークの中央にIHSという文字があり、その下にはローマ字でROKKOと記されているロゴマークです。 これは六甲学院の紋章です。 ただ、ROKKOという文字を取り去った場合、この紋章はイエズス会という修道会の紋章になります。 六甲はイエズス会の経営する学校ですから、イエズス会の紋章のIHSを中央にあしらい、これにローマ字の“ROKKO”を加えて六甲学院の紋章としたわけです。

では、中央部分のIHSとはどのような意味の言葉なのでしょうか。 これはイエス・キリストを意味するギリシア語の最初の3文字をローマ字で表記したものです。 つまりイエズス会の紋章は、イエス・キリストを中心においた紋章なのです。 このことから、イエズス会とはイエスを自分たちの生き方の模範とする姿勢を持った修道会だということが理解できると思います。

イエス・キリストという方は「仕えられるためではなく、仕えるために私は来た」と言われました。 中学1年生には分かりにくいかもしれませんが、これは人々から王のように崇められる、あるいは人の上に立って自分のために他の人を動かす、そのために来た、ということではなく、「他の人々のため、特に社会の片隅に追いやられた弱い人たちのためにこの世に来た」という意味です。 このキリストの生き方を模範にして創られた修道会がイエズス会で、そのイエズス会が日本で初めて創った中等教育学校が六甲です。 すなわち、六甲は「他の人々のために生きる人間」を育てる学校だということです。 これを“Man For Others”といいます。 君たちは今、“Man For Others”を教育理念に持つ学校の生徒になりました。 これを忘れないでください。

現在、日本は政治・経済・外交、色々な面で厳しい状況に置かれていることは君たちも感じていることと思います。 それらの状況を打破するために各界の有識者の人たちがそれぞれの立場から提言を出していますが、私が目にする限りでは「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」の二つを挙げる方が多いです。
「弱者を支える」人間、これはまさに“Man For Others”です。 “Man For Others”は今の社会に求められている人間像でもあるわけです。

グラウンドのIHSマークに戻ります。 キリストを意味する文字の入った六甲学院の紋章、そのような大事な紋章を踏みつけることに抵抗感のある人がいるかもしれません。 そのことについてはどう考えればよいでしょうか。

先ほどの校舎の床磨きの話に関連しますが、ヨーロッパのクロアチア共和国には世界遺産に指定されているドブロヴニクというとてもきれいな町があります。 クロアチアは独立宣言を出した後の内戦で戦火に見舞われ、建物や城壁など大きく破壊されましたが、この町の石畳は六甲の旧校舎の床よりはるか以前の14世紀から市民の足で磨きこまれ、それは美しく温かい光を今でも放っています。

君たちは人工芝のグラウンドの上で様々なことを経験するでしょう。 朝礼がある、中間体操が行われる。 休み時間には遊ぶ、体育の授業で使う、クラブ活動で使う……。 そのように君たちが使うグラウンドにはいつもIHS(イエス)が刻まれています。 これをどんどん踏み、成長の糧にしてください。 ドブロヴニクの石畳が人に踏まれて輝きを増していったように、君たちは何度もこの文字を踏み、イエスの言葉「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」に輝きが与えられるよう、自分を磨きこんでほしいと思います。

六甲での6年間を通して、友だちや先輩と切磋琢磨しながら自分を磨き、「他の人々のために生きる人間」に成長してくれることを願っています。

 最後になりましたが、新入生の保護者の皆様、本日はご子息のご入学、おめでとうございます。

 六甲学院は、75周年に際し、最新の設備を備えつつも旧校舎の面影を多く残す新校舎を作りました。 このことが象徴しているように、六甲学院は、この世には変わらないもの、変えてはならないもの、永遠なるものがある、そのことを常に考えて生きる若者を75年にわたって育ててきた学校です。 私たちは、ご子息が欠点も含めたありのままの自分を素直に受け入れ、と同時に他の人びとの存在も肯定的に受け入れる人間になってくれることを願っています。 そして、強い意志力をもって真理を探し求める姿勢を持つことで、よりよい社会を作り上げる意欲を持つ人間に育ってくれることを願っています。

私たち六甲学院の教職員はご子息を大切にお預かりし、6年後には今述べましたような志向性をもった若者に成長してくれるよう全力をあげて取り組んで参ります。 保護者の皆様方におかれましては、どうぞ六甲学院の教育にご理解を賜り、ご協力をお願いいたしたいと存じます。

ご子息と保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。

2013年03月19日

中学卒業式

 中学の卒業式を迎えた73期生にとっては六甲での生活の前半の3年が終わったことになります。 73期は中1の7月までは旧校舎、途中の2年3か月が仮設校舎、中3の11月から新校舎での生活となりました。 めまぐるしく変化した3年間であったわけですが、それだけにかえって思い出深い中学校生活となったのではないでしょうか。

 今年は創立75年ということで、私にとっては六甲とはどのような学校かということを考える良い機会となった年でした。 おそらくこれは君たちにとっても程度の差こそあれ、六甲という学校を考えるいい機会になったことと思います。 4月から高校生になります。 六甲中学を卒業する今、この3年間を振り返ってみてください。 そして、六甲であと3年間過ごすことの意味をじっくり考えてみてください。 そうすれば充実した高校生活を送ることができると思います。

 そして、君たちの中には中学卒業と同時に色々な事情から六甲を去る生徒がいます。 君たちの歩む道は六甲高校に進む友だちとは異なる道となりましたが、君たちには新しい舞台が待っています。 新しい舞台で存分に活躍してください。 「善き人間」という目標に到達する道としてはどこを通っても同じだと思います。 六甲時代に培った友情、思い出を心の糧として自分に与えられた道を信じて進んでほしいと願っています。

 73期生に神様の豊かな恵みがあることを祈りながら式辞といたします。

3学期終業式

 色々あった2012年度も早いもので3学期の終業式を迎えることとなりました。 皆にとって、3学期、あるいは2012年度はどのような1年であったでしょうか。

 昨年度(11年度)、私は2学期に六甲生の成長という観点から2011年度を振り返ってみてベスト5を挙げてみました。 覚えていますか。今回は12年度の学年末に六甲生を振り返ってみて評価できること、私がうれしく思ったことをいくつか紹介し、そして次に今年度の六甲生を「成長」という観点から総括してみたいと思います。

 まず、3学期の始業式でも触れましたが、被災地の高校生を関西に招待する企画を成功させたことを評価したいと思います。 この企画は、実行力、計画力、他校生徒とのコラボレーションとその場でのリーダーシップなど、一つだけでも大変なことなのにこれを成功させました。 大変な労力が必要で、そのため一部の生徒には過大な負担がかかったようですが、皆で協力してよくやってくれました。 能力は機会を与えられることで発揮します。 六甲生は色々なことにチャレンジして能力を磨いてほしいと思います。

 次に、仮設校舎解体に際してこれを惜しむ声がかなりあったことはとてもうれしいことであした。 日番日誌に書かれているものを読むと、仮設校舎を自分たちの成長の場としてとらえ、一時的な仮の建物ではなく、仮設校舎に仮設校舎としての完結を見ていたことが伝わってきます。 確かにこの2年間の生活が仮であってよいはずがないわけで、そこに気が付いてくれたことがとてもうれしいことでした。

 次に、中間体操を新校舎移転後も第3グラウンドで実施したことを評価したいと思います。 私は新校舎に移ってからは移動経路の問題があり、中間体操実施は無理かと考えていたのですが、生徒の委員会では細々とでもよいから実施しようということを決定して、やり遂げました。 中間体操そのものはその昔、学校が決めて今に続く行事ですが、それが今や完全に生徒のものになったといえます。

 もう一点挙げたいのが自習室&学習センターの活発な利用です。 私は、もっと勉強できる環境を学校で整えたいと考えて、高校生に対しては自習時間を8時まで延長しました。 また立派な学習センターも造りました。 ですが、環境を整えても勉強するのはあくまで生徒自身です。 どの位利用するものか様子を見ていましたが、自習室の利用者数については多いと見るか少ないと見るか意見の分かれるところですが、少なくとも使っている生徒の大半、特に高校3年生は一生懸命勉強していました。 結果も出してくれました。 新しくできた学習センターは見晴らしが良いこともあってよく利用してくれています。 これらの積極的な利用が今後の学力向上につながることを大いに期待しています。

以上が12年度の六甲生を振り返ってみて私が評価したこと、うれしく思ったことです。

次に、以上のことも踏まえたうえでのことですが、この1年の六甲生を「成長」という観点から総括してみたいと思います。

 一言でいえば、「六甲に対する誇りと自分に対する自信を深めた1年であった」と評価しています。

 新校舎が完成したことは一つの大きな要因であろうと考えています。 新校舎はおそらく君たちが想像したものと異なり、旧校舎のイメージを大きく残しただけでなく、古い時代の木の温もりを感じさせる造作になっていました。 しかも一方では学習センターや理科教室など最新の設備も備えており、君たち自身も喜んでいますが、それと共にお家の人など周りからの評判がよいことも耳にしていることと思います。 見学に来られた方々の様子も見たでしょう。他校でもそれぞれ立派な新校舎を建てていますが、伝統を大事にしつつ新しい時代に合致する校舎というはっきりとしたコンセプトを持った校舎として一味もふた味も違う校舎です。 誇れるものを持ったという点で生徒に与えた影響は大きいと思っています。

 また何度か話をしましたが、体育祭の様子がテレビ放送されたことも影響していると見ています。 どういうことかというと、我々が昔から普通にやっていることが世間の目から見ると、実はとても実行が困難で大変な行事なのだということが分かったこと。 これは君たちの自信とプライドにつながります。 これは実際にデータで見ることができます。 高校1年生を対象に毎年おこなっているアンケートがありますが、その中で「六甲に対する誇り」について聞く質問があり、誇りを持っていると答えた生徒が前年に比べて8ポイントもアップしていました。 72期と比べて先輩の71期や70期が学校へのコミットメントの度合いが低いことはないと感じているので、今年のこのポイントアップの主たる要因は体育祭放映に寄せた反響の大きさにあるのではないかと考えたわけです。

 最後にもう一点、11月に行われた小学生の保護者対象の学校見学会では初めての試みとして生徒の代表(中1指導員)が前に立って学校の説明をしましたが、この評判が良かったことを挙げておきます。 中1指導員は優秀な生徒であるから当然だと言うかもしれませんが、卒業式の答辞・送辞や生徒会の委員の話を聞いてもよい話をしてくれています。 上級生が下級生を指導する伝統は六甲においてはごく普通のことです。ですが、世間ではそれは普通のことではないのです。 この評判は六甲生全員が知るところではありませんでしたが、高2を中心にこの評判を聞いた生徒はかなりいます。 自信につながったのではないでしょうか。

 以上のようなことを見て、私は、今年は六甲生が「六甲に対する誇りと自分に対する自信を深めた1年であった」と評価したわけです。

 「成長」の観点から見たのでよいことばかりを挙げました。 もちろん改善してほしいことも多々あります。 挨拶は仮設校舎のころに比べて残念ながら若干後退したように思えます。 通学時のマナーもよくない評判を耳にします。 訓育の先生が走り回っている状況が一方ではある、このような点については来年度以降の課題として是非改善してください。

 今まで話したことは、全体を見渡しての一般的傾向としての話です。 一人一人についてはまたそれぞれ違う総括ができるでしょう。 ですから、各自でこの1年を振り返って見て自分を評価してみてください。 そして来年度の飛躍につなげてほしいと思います。

 76年目に入る来年度、六甲に対する誇りと自分に対する自信を持って過ごしてくれることを期待しながら話を終わることにします。

2013年02月09日

70期卒業式式辞

 晴れ渡った空のもと、冷たい外気が身を引き締めてくれる清澄感溢れる今日、70期生の卒業式を迎えることとなりました。ただ今、70期生170名に卒業証書を渡すことができました。70期生の皆さん、ご卒業おめでとう。

 先日、出来上がったばかりの卒業アルバムを見せてもらいました。君たちも見たことと思いますが、表紙は表に新校舎、裏には旧校舎の写真を載せたレイアウトでした。旧校舎が背後に回って表舞台から退き、代わって新校舎が前面に登場して新旧の交代を告げる印象深い構成となっていました。

 思えば君たち70期生は時代が変化するなかで、作られた物のはかなさ、人間の自然に対する無力さを感じさせる出来事をいろいろ経験しながら育ってきたように思います。

 君たちは阪神淡路大震災の前後に生まれ、物心がついたころ、いたるところに震災の爪痕が残る中で復興事業が行われていくのを見たことでしょう。高1の終わりにはさらなる大きな自然災害である東日本大震災が起こりました。圧倒的な自然の脅威を前に立ちすくむ思いを持ったのではないでしょうか。政治面では長く続いた自民党政権が倒れ、民主党政府ができて日本でも本格的な二大政党制の時代が来たかに見えましたが、昨年末の総選挙で自民党の圧勝となり、今後の日本の政治の方向性は不透明になっています。グローバル化が進む中、諸外国との関係も変化し、世界における日本の役割、影響も変化してきています。私たちの身近なことに目を向けると、六甲学院では旧校舎が解体され、仮設校舎を経て新校舎が完成するという大きな変化を経験しました。

 このように、目に見えるもののはかなさを知り、人間の力の限界や弱さを知り、時代の流れも一直線ではないことを知るなど、わずか18年の人生経験ですが、君たちは貴重な経験を重ねてきました。

 時代が変化するなかで、新しい道を切り開いていかなければならない君たちに6年間を通じて六甲が教えたこと、伝えたかったことはいったい何だったのでしょうか。

 六甲中学校は創立間もないころに軍部の査察が入り、キリスト教学校である六甲はつぶされるかもしれないという事態に直面した時がありました。そのころのことを初代校長の武宮隼人先生は後に回想して、「六甲は神が望まれたが故に創られた学校であり、自分はそのみ旨に従うのみだと思った」と話されています。み旨に従って働きそれで廃校となるならそれはそれで神のみ旨だ、と考えて肝が据わったということだと思います。

 では、もし神が望まれたが故に創られた学校であるなら、神は何を望んで六甲という学校を創られたのでしょうか。

 初代校長の武宮先生の名前は皆よく知っていますが、これとは別に六甲中学校設立の代表者がいるということを知っている生徒は一部の学年を除いて知らないのではないでしょうか。フーゴ・ラサールというイエズス会の神父です。このラサール神父が1949年創刊の校誌『六甲』に寄稿した文が残っています。その中でラサール神父はこのように書いています。「いかなる時代を通じても、教育者の目的は青年たちを良き人間に教育していくことにある」ラサール神父の言葉に従うなら、神は六甲に若者を良き人間に育てるよう望まれたということになります。

 では、「良き人間」とはどのような人間でしょうか。実は君たちはその答えをすでに知っています。イエスが言われた言葉で、君たちも何度となく聞いた言葉を改めて紹介します。

 “私は仕えられるためではなく、仕えるために来た”

 君たちには様々な面で「良き人間」になってほしいと願っていますが、その数ある「良き人間」像のなかで最も大事なものは、イエスのこの言葉にあります。“人のために仕えることのできる人間”です。六甲が6年間を通じて伝えたかったことはこれでした。

 ラサール神父の話に戻ります。ラサール神父が言われた「いかなる時代を通じても、教育者の目的は青年たちを良き人間に教育していくことにある」という文の冒頭には「いかなる時代を通じても」という言葉があります。
ラサール神父がこの文を書いた年が1949年であることに注目してください。

 六甲が第1期生を迎えた1938年は軍国主義の時代で、前年には日中戦争が始まり、3年後には太平洋戦争が始まっています。これに対して、ラサール神父が『校誌』に寄稿した年である1949年は戦争が終わり日本は民主主義の国になったと言われた時期です。学制改革の真っ只中でもありました。創立時の軍国主義の時代とまったく異なる時代になっていたのが1949年でした。これほど劇的に時代が変わっていった時期に、六甲の教育はどうであったでしょうか。

 今年度4月の中学入学式のときにも触れましたが、武宮先生は軍国主義の時代、一見、体制に迎合するかのような制度を採り入れました。中間体操や便所掃除はすぐに思い浮かぶものです。他に制服を海軍の制服を模したものに制定したことなども挙げることができます。しかし、表面的には時代に迎合しているように見える制度を逆手にとって、武宮先生はその中身に宗教的な意味合いを持たせました。便所掃除は人の嫌がることを進んでやる奉仕の精神につながります。多くの学校が緩やかな校則に変わった現在でも続けられている所以です。海軍の制服を模した六甲の制服は「国のために死ぬ」という軍国主義的教育に沿ったものではなく、キリスト教精神に基づいて、人間の生き方として死と向き合うことの大事さを教えるための一手段で、現在の六甲でも折に触れて取り上げられています。劇的に変化した時代にあっても、六甲の教育の芯は変わることがありませんでした。

 「いかなる時代を通じても」と書いたラサール神父の言葉には事実に基づく重みを感じさせるとともに、激動の時代を信念を曲げずに貫いた六甲学院の矜持、プライドも感じさせるものです。

 ラサール神父はこの言葉に続いて、「人間の最も内なる人間的なるものは、常に変わることがない。人間が人間としてもつ目的は、たとえその目的を見つめて歩む道が時代によっていかに異なろうとも、常に同一である。人間は人間としてもつその目的を判然と把握したとき、換言すれば人生の最も基本的な意義を明らかにしたとき、はじめて確信をもって人生行路を歩むことができるのである。」と書いています。

 六甲は、人間が人間としてもつ目的は常に同一であるという信念を持って、良き人間を育てるために、時代が変わろうとも校舎が変わろうとも、いつも変わらず青年を教育してきました。そして第1期生を迎えて以来75年がたった今日、70期生が卒業します。君たちは六甲を卒業しますが、この後どのような時代が来ようとも、君たちの歩む道が平坦でなくとも、人生の最も基本的な意義を理解した君たちは、確信をもって人生行路を歩むことができます。
確信をもって人生行路を歩んでください。

 よい卒業アルバムができました。うれしい時、悲しい時、困難に出会ったとき、折に触れて卒業アルバムを、中味だけでなく表表紙と裏表紙も合わせて見てみてください。

 六甲は今後も良き人間を育てる教育を続けていきます。
その目的のために、君たちも71期以下の下級生をよく指導してくれました。伝統は教員だけで作るものではありません。生徒とともに作っていくものです。70期生は六甲の伝統に素晴らしい1ページを加えてくれました。どうか卒業後もMAGISの精神を忘れず、良き人間として成長してくれるよう願っています。

 最後になりましたが、卒業生の保護者・ご家族の皆様、本日はご子息のご卒業おめでとうございます。先程紹介しましたラサール神父は、冒頭で「いずれの国においても青年はその国の希望である」と述べています。阪神淡路大震災の前後に「我が家の希望」として生を受けたご子息は、今、「六甲の希望」ともなりました。そしてご子息が六甲卒業後は「日本の希望」として、「世界の希望」として活躍されますことを切に願っております。
ご子息とご家族の皆様の上に神さまの温かい祝福がありますことを祈念いたしまして私の式辞を終わらせていただきます。

2013年01月08日

3学期始業式

 年が改まって2013年になりました。皆それぞれ新たな気持ちをもって新年を迎えたことと思います。

 昨年末、社会奉仕委員会のメンバーを中心に、被災地の高校生を関西に招待して交流する『東雲プロジェクト』が実行されました。メンバーだけでなく、六甲生の多くが募金で協力してくれました。新聞にも載りましたが、関係した先生からもよくがんばっていたと聞いています。学校内での活動とは異なり、他校の生徒に呼びかけで同志を集め、何度も話し合いをして内容を詰め、資金の調達方法、細かい日程の調整と施設との折衝、招待する学校への案内、などなど大変な努力が必要なプロジェクトです。他校の同志と一緒におこなったことですが、これらの動きの中心に六甲生がいたことはたいしたことだと思っています。

 さて、“man for others”は皆よく知っているように、六甲の教育理念を表わす言葉ですが、最近はこれに“with others”を付けて、“man for others with others”といわれるようになっています。そこで今日は、この“with others”について考えてみたいと思います。

 ところで、討論型世論調査(Deliberative Poll=DP)という言葉を知っていますか。
DPというのは通常の世論調査の回答者から希望者を募り、討論資料を送ったうえで、一か所に集めて世論調査と同じ質問をした後、討論や質疑応答を経て同じ質問に答えてもらうもので、時間はかかりますが、討論を経たうえで人の意見がどう変わるのか、変わらないのかを知ることができる興味深い調査です。新聞には慶応大の曽根教授が年金などでDPを実施してきた経緯から政府が曽根教授に依頼して実施した内容について紹介されていました。

 政府が示した選択肢は、2030年代の原発比率を「0%」「15%」「20~25%」のどれにするかというものでした。結果は「0%」が最初の世論調査の32.6%から討論会後に46.7%に増加、「15%」は16.8%から15.4%に減少、「20~25%」は13.0%で横ばいとなりました。政府はこの結果も含めて総合的に判断し、「30年代に原発稼働ゼロ」を目指すエネルギー政策をまとめました。

 曽根教授は、DPは唯一の世論ではないし、結果を政府に直結すべきでもないが、と断ったうえで、市民が政府の審議会と同じ内容の資料を読み、討論した末に出た結論は重いと思う、と言っています。当時の細野原発担当相も「議論を経て原発ゼロが増えているという、この重みは非常にあるのだろう」とコメントしています。「30年代に原発稼働ゼロ」を目指すという政策は、12月の総選挙で民主党の政策としても出されていたもので、この決定のプロセスにどれだけDPが反映されたかどうかは分かりませんが、細野原発担当相の発言を見ると、ある程度の影響は与えたのではないかと思います。

 興味深いのは、熟議により意見が相当程度変わってきているということです。これは他人の意見に流されるといった悪い意味での修正ではなく、意見を戦わせて自分の考えを深めた、つまり深化させた上での修正です。皆で話し合ったうえで良い方向に修正できたということですね。また、結論が変わらなかった場合でも、独りで考えた場合と異なり、確信をもった結論になっている。これが“with others”の大事さの一つです。

 別の側面から“with others”が大事であることを紹介します。最近はリーダーシップ論、リーダー論がさかんです。私もこれについては何度も話をしています。昨年2学期の保護者会の時に野中郁次郎氏という学者のリーダーシップの本質についての記事を保護者の方々に紹介したことがあります。野中氏は一橋大学名誉教授で、知識創造理論のパイオニアといわれる学者です。

 野中氏のリーダーシップ論の詳しい内容は省略しますが、をかいつまんで言えば、理想をしっかり持ち、それを現実の場でメンバーと共有する一方、現実を直視し言語化した上で実践すること。さらにその営みを組織の皆の実践知にまで固めること、ということです。中学生にも分かるようにもっと簡略化して言うと、理想を持ち、それを仲間と共有し、実行していくことのできる人間が真のリーダーであるということです。ここにもothersがでてきています。

 私の抱くリーダーのイメージも野中先生のいうリーダーに近いものがあるので皆にも紹介しました。人の上に立って、集団をグイグイと引っ張っていく人間、六甲で言えば体育祭委員長や文化祭委員長にあたるでしょう、このような人間は必要ですが、これは誰にでも備わっている能力ではありません。野中先生の言うような人間がリーダーであるのならば、このようなリーダーには本人にその気概があれば誰でもなれます。

 これと同じような見解を持っている方がいる。元世界銀行副総裁だった西水美恵子さんです。彼女は、リーダーシップ=チームだと言っています。

 西水さんはリーダーシップを説明するときにグループとチームという言葉を使い分け、これを別のものとして説明します。グループでは、議論し結論を出しても実行を担当者に委ねます。この担当者がリーダーということですが、これは本当のリーダーではないと言うのです。大事なのはチームである。チームだから、議論し結論を出したら自ら実行に力を合わせる。つまり、自分の役割を自分で切り開いて周囲を引っ張るのが、チームのリーダーシップだとおっしゃる。私は、「グループ」のリーダーはこれはこれで必要だと思いますが、西水さんはこれを否定しているのではなく、誰もが、どこかの場面でチームに貢献することがもっと大事なことだと主張しているわけです。

 これは先程の「理想を持ち、仲間と共有して、実践していく」という話と同じ発想です。ここでも、チーム、すなわちwith othersの重要性が指摘されています。「他の人たちと意見を交換し合いながら、自分の考えを確固たるものにし目指す理想に近づける、他の人たちとチームとして役割を相互に担いながら理想とする社会の実現を目指す」、このような人材が六甲からたくさん出てくれることを願っています。

 昨年1月の始業式のときに、私は「今の日本は厳しい状況だが、希望の持てる社会になった」と言いましたが、これは言い換えればwith othersの芽が出てきているということを意味しています。

 同じように今の日本の状況をプラス思考で見ている学者がいます。小熊英二さんという慶應大学総合政策学部の教授で、気鋭の社会学者です。小熊さんは、社会を変える動きが必要であるがこれからはそれが成功することが多くなると思う、と言い切っています。これはうれしい予測ですね。この予測には、今、日本社会は変動期にある、という彼の分析が背景にあります。停滞しているのであれば変えることは非常に難しいが、変動期にあるのなら変えることが可能なわけです。もちろん良い方向にばかり変わるとは限りません。悪い方向に変わる危険性も含んでいます。

 確かに、このような目で見ると、大学の先生が個人でおこなっていた討論型世論調査を政府が採用するようなことはひと昔前にはなかったことです。国会周辺で行っていた原発反対のデモの代表者の話を首相が聞く時代になってきています。このような事例を見れば、小熊さんのいうように、これからの日本は社会を変える動きがでてきて、今後はそれが成功することが多くなると、いうのはあり得ることのように思います。

 先ほど紹介した西水さんは別の場所で、リーダーについて、「本物のリーダーというのは、本気で人のため、世のために動いて、そのために自分の人生を自分で引っ張っていく人のことだと私は思います。」とおっしゃっておられます。また、「東日本大震災以降の、特に民間や若い世代の底力は、すごいなあと思います。大きな危機を、みんな体験して、それが本気の火種をつけたのだと思う。このままその火種が消えないように祈るばかりです。」とも語っておられます。

 もう分かったと思いますが、西水さんのリーダー論は、六甲の“man for others with others”と重なります。「本物のリーダーは、for othersであり、with othersである人間」だということです。

 君たちには、年の初めに当たり、この1年を「人のため世のために働く気概をもって、仲間を増やし、仲間と議論を深めることを念頭に置き」ながら活動するようにしてほしいと願っています。

 よい1年になるようにがんばりましょう。

2012年12月22日

2学期終業式

 8月27日から前倒しで学期が開始され、校舎引越による休日を経て新校舎での生活に移った2学期も終わります。学期の終わりにあたる今、2学期を振り返ってみて何か収穫のある学期となりましたか。

 さて、2学期の始業式の時に話した内容を覚えていますか。忘れてしまっている生徒は思い出してほしいのですが、松下村塾と慶應義塾を紹介して、社会を変える気概を持つことの大事さを話しました。意気込みと目標を持つこと、これは松下村塾や慶應義塾の塾生に限らず、時代を超えて未来を担う若者に当てはまるとても大事な姿勢なのでぜひ心に留めておいてほしいと思います。

 ところで、これは新潟県の公立高校の話ですが、新潟の公立高校4校の理数科の生徒を対象にしたアメリカ研修旅行が3年前から始まっています。英語圏の国への語学研修旅行は色々な学校でやっており、特に目を引く企画ではありませんが、直接聞いた話なので紹介すると、当初の目的は、世界に目を開いた生徒になること、英語学習のmotivationを高めることなど4点ほどあがっていましたが、理数科といえども語学力は必要だということで、特に語学力を高めることが最大の目的の研修旅行でした。

 参加した生徒が帰国後に書いたものを読むと、現地の高校生との交流を深めたり、ハーバードやMITのキャンパスを見学して充実した施設や学生のレベルの高さを知って学問研究のモティベーションを高めたりしたなどの成果をあげていることがうかがえます。同じ世代の若者が楽しく勉強していること、将来のことをしっかり考えていること、ディスカッションした大学生のレベルが高いことなどに大きな刺激を受けて帰ってきました。

 帰国後は(こうは書いていませんが、例えて言えば)現在のぬるま湯のような自分の状態とアメリカの学生との意識の違いに目覚めて、こうしてはおられないと一念発起し目標を立てて猛烈に勉強を始めた生徒がでてきました。学校はここまでを期待して語学研修を始めたわけではなかったのですが、副作用的な効果が出て、大学進学率が上がったということでした。自発的に出てきた「やらなければ」という気持ちが意欲的に勉強に向かわせたわけです。

 この例でわかるとおり、「自発性」、言い換えれば「やる気」「意欲」、これを持つことは人間、特に若者にはとても大事です。「やる気」、英訳するとmotivationです。「やる気」、motivationの大事さは六甲生でも上級生ほど実感できるでしょう。たとえば、中間体操委員は誰よりも早く上半身裸になる、訓育委員は便所掃除をいとわない、文化祭・体育祭委員は遅くまで会議をし、寝不足になって目を真っ赤にしながらもがんばることができる。これらはすべて自発的にやるからここまでできるのです。

 今挙げた例は行事や諸活動の分野の話ですが、行事や諸活動だけでなく勉強においても自発的に意欲を持って取り組むことが大事です。

 六甲の生徒は諸行事、諸活動についてはよくがんばってくれていると思います。外部の人からの評価も得ています。ただ、苦言を呈するならば、勉強面に関しては、意欲、自発性があまり高くいようには思いません。この点については、私は、君たちはもっと伸ばすことができる、伸ばさなければならないと思っています。

 先程新潟の語学研修旅行を紹介しました。これとは別のグループの話になりますが、ハーバードの大学生とグループディスカッションをした生徒が経験したことです。ハーバードの大学生から質問される。質問内容は理解できるのでイエスかノーかで答えることはできる。けれど、次にではなぜイエスなのか、なぜノーなのか、君はなぜそう考えるのか、を問われた。そのときに、自分の考えを持っていない生徒はそこで詰まってしまったのです。話す能力はあっても内容についての知識を持っていなければ、あるいは自分の考えを持っていなければ話はそこで終わってしまいます。相手にされなくなります。

 このようなことにならないために、まずは知識を習得すること、そしてその知識をもとに自分の考えを持つことが大事です。知識を総合的に蓄積すること、そしてその総合知をもとに自分の考えを展開できること、これはグローバル社会といわれる現代社会において世界に伍していくために君たちに要求されていることです。

 ここで自発性・積極性が要求されます。単に受身で知識を蓄積するだけで終わるのであればそこから自分の考えを持つまでには至らない。自発的・積極的に知識を吸収することで知識が自分の血となり肉となる。そこから初めて自分の意見を構築することができます。

 諸行事・諸活動にあれだけ積極的・自発的に関わることのできる六甲生だから、知識の習得、すなわち勉強においてももっと前向きに取り組むことができるはずです。

 新校舎が完成し、学習センターで自習する生徒の数も増えています。特に高3は目の色を変えて真剣に取り組んでいます。いいことだと思います。始業式の時に話をした社会を変える気概を持ち、自発的に物事に取り組み、知識を蓄積して発信できる内容を持つ人間になってほしいと願っています。そのような観点から、2学期の終わり、2012年の終わりにあたって、2学期を振り返り、2012年を振り返ってください。パウロのように、すべてを吟味して、良いものを大事にし、MAGIS、もっとよくなるように、気持ちを新たにして新年、新学期を迎えてください。

 最後に、高校3年生はセンター試験が間近です。インフルエンザの流行期に入ったとのことです。健康管理をしっかりして目標に向かってがんばってほしいと思います。後輩も応援しています。

2012年10月22日

仮設校舎との別れ

 新校舎の建設が大詰めを迎えています。今週と来週で検査をして引き渡しとなります。そして11月中旬に引っ越しです。皆も楽しみにしていることと思います。

 このような今、2年以上使ってきた仮設校舎の生活を振り返ってみることは大きな意味があると思います。私は仮設校舎での生活は不便なこともあったが、六甲生が得たものも大きかったように思っています。今から話すことは、今週発行される学院通信に書いたことなので、学院通信の記事も後で読んでほしいですが、私から見た仮設校舎での生活の意義は次のような点です。

 まず、教室の窓が透明で良い意味で開放感がありました。外から見られるのでほどよい緊張感も出たように思います。

 次に、コンパクトにまとまっていたことからくるメリットが何点かあります。

 職員室や他学年の教室との距離が近く、先生と生徒だけでなく生徒同士の連絡や伝達もしやすかったですね。

 また、近年、挨拶をする生徒が増えたことを実感します。わたしが校長になった最初の2年間は「挨拶をしよう」ということを目標に定めました。先生方も折に触れて注意してくださったその成果もあったと思いますが、それ以外で大きな要素かもしれないと私が考えていることが仮設校舎の廊下が狭いということです。廊下の幅が狭いため、人と人との間隔も狭まり、相手を意識する度合いが高くなり、そのためか挨拶をよくするようになったのではないかというのが私の分析です。

 校庭も狭かったですね。遊ぶスペースが少なく、体を動かしたい中学生にとっては不自由なこともあったと思いますが、逆に利点もありました。南北の校舎に囲まれた狭い空間で朝礼を行わざるを得なかったのですが、この結果注意力が散漫にならず、以前より朝礼の話をよく聞いてくれるようになったように思います。

 仮設校舎を経験することで六甲はよいものを得たと思います。

 以上は、私が感じた仮設校舎の意義です。君たちも、一人ひとりがそれぞれ仮設校舎に思い出があると思います。仮設校舎での生活が終わる今、それぞれが仮設校舎での生活を総括していくことを勧めます。

 新しい校舎は教室が広く、廊下も仮設に比べるとかなり広いです。壁越しの音も気にしなくて良くなります。校庭も広々として開放的になります。随分快適になりますが、仮設校舎で得たよい習慣、たとえば挨拶を良くするようになった、朝礼の話を集中して聞くようになったといった習慣は、新校舎になっても維持していってほしいと願っています。

 六甲はもっとよくなります。君たちの時から新しい伝統を築いていってください。

2012年09月24日

9.11アメリカ同時多発テロ事件

 今日の話は“9.11アメリカ同時多発テロ事件”についてです。2週間前に話す予定でしたが、雨で流れたので今日に持ち越しました。

 アメリカ同時多発テロ事件とは、11年前の9月11日、ウサマ・ビンラーディンをリーダーとするテロ組織アルカーイダのメンバーが4機の航空機をハイジャックして、ニューヨークのワールド・トレード・センターや国防総省(ペンタゴン)の建物などに突入して3000人近い人が犠牲になった事件のことです。

 特にワールド・トレード・センターはニューヨークのマンハッタンにあります。マンハッタンは見上げるような超高層ビルが林立する地区で、アメリカの富と力の象徴のような場所です。それら超高層ビルの中でもワールド・トレード・センターはひときわ高いツインタワーで、そこに航空機が突っ込んだわけです。

 ブッシュ大統領は小学校を視察中でフロリダにいましたが、事故のニュースを聞いたときは相当なショックを受けていました。また、アメリカ国民にとっても自分たちの繁栄と力の象徴のような場所が攻撃され破壊されたことは大きなショックで、国内ではテロの実行犯がアラブ系だということで、国内のアラブ系の人やイスラム教徒に対して敵対感情を持つ人々が出て、アラブ系の人びとは嫌がらせにあったり、職を失うこともあったり、また暴力をふるわれたりしました。

 国連は9月12日にテロ非難決議を採択します。このテロ行為に対してはアラブ諸国からも非難の声が上がっています。

 この後、アメリカは非常事態宣言を出し、アルカーイダのリーダー、ウサマ・ビンラーディンを首謀者と断定して、アフガニスタンのタリバーン政府に引き渡しを要求します。タリバーン政府は証拠がないとして引き渡しを拒否、これを受けてアメリカはアフガニスタンを攻撃し、この結果タリバーン政権は崩壊しましたが、ビンラーディンらを捕捉することはできませんでした。

 さらにアメリカはこの後、イラクに対し、大量破壊兵器を隠し持っているとして、テロを予防するためのイラク戦争を開始し、サダム・フセイン独裁政権を倒します。しかし、肝心の大量破壊兵器は見つかりませんでした。実は開戦前から大量破壊兵器は出てこないのではないかと言われていて、つまり確たる理由はなく戦争を起こしていったのがイラク戦争だったということです。

 イラク戦争からその後のアメリカ軍のイラク駐留の期間に実に多くの無辜の市民の血が流れ、イラクの人だけでなくアラブ諸国の人びとのアメリカに対する怒り・憎悪は増幅されました。

 テロは許すことはできないし、アメリカの人の怒りも分かりますが、だからといってテロリストがアラブ系だったから、イスラム教徒だったからと言って短絡的にアラブ系の人やイスラム教徒をテロリストと同一視して排撃するのは明らかに行き過ぎた行為で間違っています。また国家による予防のための戦争は互いに憎悪を増幅させ、報復の連鎖を生み出すだけに終わります。

 このような一連の経緯を見ると、人間は憎みあうことしかできないのだろうかという暗澹たる気持ちになりますが、本当に報復の連鎖は止めることはできないのでしょうか?

 私はそのようなことはないと信じたいと思います。

 同時多発テロ事件の直後、ワールド・トレード・センターの最上階のレストランでソムリエとして働いていた人の妻がテレビの取材に対して、次のように答えたという話を紹介しましょう。彼女は、死んだ夫がアメリカ国民に伝えたかったことがある、というような表現で、夫は復讐とか報復を必ず拒否するだろう、夫は暴力よりも話し合いが実り多いものだと信じていた、私たちはこのような犯罪が繰り返されるのを防ぐために、私たちを憎む人々と共通の理解に達しなければなりません、と語っているのです。夫をテロによって無残に殺された人なのに、報復ではなく話し合いによって和解すべきだと主張しているのです。

 昨年ノルウェーのウトヤ島で銃の乱射によって69人が殺された痛ましい事件が起こりました。犯人のブレイビクは禁錮21年の刑となりましたが、事件の現場にいながら殺戮を免れた10代の少女がこんなことを言っているのです。「一人の男がこれほどまでの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほど人を愛せるかを示しましょう。」殺戮の現場にいて自分が殺される恐怖を味わった少女が、憎しみに対して憎しみではなく愛によって相手の心を変えよう、と言っているのです。

 人間は崇高な精神を持つことができる存在です。世の中にはそのような精神を持った人がたくさんいることを信じたいと思います。六甲の生徒もそのような精神を持ってくれるようになれば本当にうれしいことです。

2012年09月03日

文化祭に向けて

 今日から文化祭の準備期間に入ります。昨年の文化祭は内容の充実した良い文化祭だったし、今年の体育祭も大好評だったので、今回の文化祭についても気分よく張り切ってくれていることと思います。

 ところで、今年のロンドンオリンピックで日本人選手が活躍した競技の一つにバレーボールがありました。バレーボールというと、1964年、私が中学生だった時におこなわれた東京オリンピックでは日本女子は圧倒的な強さで金メダルを獲得し、その影響もあってか当時はバレーボール部の人気が高かったことを覚えています。今回のオリンピックで女子は見事に銅メダルを獲得しました。28年ぶりだそうですね。

 私もテレビで観戦したのですが、見ていると一人だけユニホームの色が違う選手がいるのに気がつきました。あれはリベロというレシーブなど守備専門のポジションの選手を他の選手と区別するための措置なのですね。14年ほど前から採用されていた制度なので、バレー部の部員をはじめ知っている生徒がほとんどかもしれませんが、昔はなかったポジションなので私は今まで知りませんでした。リベロは審判の許可なしに自由に交代できるのでそれとわかるようにユニホームを違えているのですが、サーブやスパイクなど攻撃的なプレーはできません。規則でキャプテンにもなれないのですね。バレーボールの選手は背の高い選手が多いですが、リベロは背が低くてもやれる、要するに地味なポジションです。

 今回先発メンバーのリベロは佐野優子という選手でした。佐野選手は身長が1メートル59センチと小柄な選手です。高校生の時はリベロの制度が導入されていなくて、出身校である京都府の北嵯峨高校の橋本監督の佐野選手に対する第一印象は、「とてもじゃないけど活躍するような子ではない」と思ったそうです。ところが、それは大きな間違いでした。故障した選手の代役で投入されると驚異的な動きを見せます。橋本監督の談によると、「落ちると思ったボールの下に必ずいる。『ここまでやるか』というぐらい、拾うわ拾うわ。」 どこにボールが落ちるのかを読む才能があったようです。チームに所属できない不遇な時期もありましたがめげずにがんばった結果、33歳でついに銅メダルを獲得しました。

 点を取らなければ勝てないので攻撃力のある花形選手は絶対に必要だし、トスをあげるセッターも必要です。ですが、攻撃に参加できずひたすら守備に徹する地味なポジションだが自分に与えられた役目をきっちりこなすリベロがいることで、チームはゲームを作ることができます。リベロ佐野選手は本当にいい働きをしたと思います。

 さて、文化祭の話に戻りますが、以前にも話したように、文化祭は体育祭とはずいぶんタイプの異なる行事です。研究発表あり、演奏や演技あり、制作発表あり、模擬店あり、様々な催しが何か所にも分かれて同時並行で進行します。質の高い研究発表になってほしいと思うし、舞台で素晴らしい演奏・演技を見たいとも思うし、おいしい食べ物を提供してほしいとも思っていますが、それがすべてできればそれで成功かといえばそうではありません。ごみが散乱していたら不潔な感じを与え、気分を害するでしょう。たくさんの人の前に立って目立つ役割を演じる生徒を横目に見ながら、目立たないけれども一日中一生懸命ごみ集めをする生徒がいてきれいな会場が維持されます。使われた食器を回収し洗って次のお客さんに使ってもらうために洗いものばかりして1日を終える生徒がいるかもしれませんが、そのような生徒がいなければおいしい食べ物を提供することができません。暑い中、案内役に徹する生徒がいることで間違えずに行きたい場所に行くことができるのです。

 今年のテーマは「英(はなぶさ)」です。英雄の「英」ですが、文字通りの「はな」の房という意味も一方ではあります。きれいな花も、部分々々を見ればそれほどきれいには見えませんし、豪華にも見えませんが、それらが調和がとれ統一的に合わさっていくと素晴らしいはなのふさになります。これと同じように、一人ひとりが自分に与えられた仕事をきっちりこなすことでさわやかで引き締まった文化祭が出来上がると思います。

 そのような意気込みを持って2週間準備をし、本番も頑張ってほしいと思います。