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校長先生のお話

2012年01月度のお話

2012年01月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2012年01月10日

2011年度第3学期始業式

 東日本大震災の起こった2011年は長い日本の歴史の中でも極めて大きな試練の年であり、長く語り継がれるべき1年でした。 そして年が明けて2012年になりました。 年の初めにあたって、昨年1年で起こった日本の変化と今後の動きについて私なりに理解したことについて話をし、そしてそれを踏まえて君たちは今年をどのような1年にすればよいか、について話をしてみたいと思います。

 まず、この1年の日本社会の変化ですが、私は「希望を持ちたい社会」から「希望の持てる社会」へ変わったと考えています。 このことについて、まず説明します。

 今年度1学期の始業式で、昨年の元旦とその前日の大晦日の社説・論説を紹介したことは覚えてくれていると思います。 日本の閉塞状況を憂い、これを打開しよう、そのためにはどうするべきかという記事が圧倒的に多かったわけです。 多くの問題を抱えているが、だからこそ希望を持って日本を変えていこう、つまり「希望を持ちたい社会」的状況が1年前であったということです。

 そこに東北地方に大地震と津波が襲いかかりました。 ただでさえ良くない経済状況に追い打ちをかけるような自然災害でした。 原発の問題も深刻となりました。 政治家の指導力のなさ、足の引っ張り合いが巷間指摘されました。 財政赤字も深刻です。 悪いことばかり重なっているような状況が昨年でした。

 しかし、そのような中でも人々は支え合おうという気持ちを持つようになり、実行にも移しました。 外国からの支援も驚くほど大きかったですね。 「日本がんばれ」のエールは心に染みました。 今まで日本に助けてもらったのだから今度はお返しをしたいという国もあり、日本が世界に貢献していることを実感した人も多かったのではないでしょうか。

 未曽有の災害を経験して日本の社会は今、人と人との結びつきが大事であることに気付いたのだと思います。 「絆」という言葉がこの1年を表す言葉となりました。

 「絆」について補足すると、2010年に「無縁社会」という言葉が反響を呼んだのを覚えていますか。 家族やふるさと、そして会社との結びつきが希薄になっている、あるいは絶たれてしまった社会、つまり「絆」とは正反対の社会的状況を指摘した言葉です。 確かに今でも社会の片隅に追いやられている人たちが多い状況には変わりはありません。 しかし、このような「無縁社会」と呼ばれる社会を何とかしたいという気持ちを人々は持ち続けていたのだと思います。

 たとえば、最近新聞に載っていましたが「切手のいらない年賀状」が全国のマンションに広がっているそうです。 同じ建物に長年暮らしているのに名前も知らず話をしたこともない人が多いのが現状です。 しかし、せっかく同じ場所に住んでいるのだからこれでは寂しい、交流しませんかということで、自己紹介を兼ねたカードをポストに入れるわけです。 すると予想外に返事が届き、そこから交流が始まっていきます。

 以前、私が学院通信に、今の若者はマニュアル人間ではなく、他の人との人間的な接触、他の人に喜んでもらうことに生き甲斐を見出す人間が多いのではないかと書きましたが、これもその流れです。

 このような潜在的な傾向が東日本大震災をきっかけに大きく前面に出てきたものが「絆」であったのだと思います。

 昭和女子大学の学長板東真理子さんは人と人との結びつきを強めていく社会として、「支援社会」を築くことを提唱しておられます。 私も賛成です。 「支援社会」、まさに“man for others with others”です。 語呂合わせ的に言えば、「無縁社会」から「支援社会」へ変わる芽が今出てきているように思います。 この潮流が、冒頭で私が2011年は「希望の持てる社会」になったと表現したことの意味です。

 このように、人と人との結びつきを大事にする姿勢、周りの人々との交わりに意味を見出そうとする動きが芽生えてきています。 血の通った個人と個人の有機的なつながりを大事にする社会的傾向が見られるようになりました。 ボランティア活動はまさにその動きですが、ボランティア活動以外でいくつかの事例を紹介しておきます。

 埼玉県の加須(かぞ)市では「ちょこっとおたすけ絆サポート」という事業があります。 どのようなものかというと、買い物の代行や病院への付き添い、庭の草むしりなど、誰かの手を借りたいと思っている人は大勢いるわけですが、そのような人たちは商工会が発行する「絆サポート券」を買います。 1枚500円で1時間の支援が受けられます。 支援するサポーターは商工会に登録した市民です。 券は市内の商店などでの買い物にも使えるのでお金が地元に落ち、地域経済を元気づける作用もあります。 今、このような動きを「新しい公共」と呼んでいます。

 今回の大震災から例を挙げると、住民の1割近い1300余人が犠牲になり役場機能を失った岩手県の大槌町では、町内を10の地区に分けて復興計画を自分たちで議論して作り上げていきました。 もちろんコンサルタント会社がたたき台を素案として示したうえですが、行政に任せず「自分たちで」防潮堤を何メートルにするのかなどを隔週末に体育館などに集まって議論して決めていったのです。

 さらに別の例をあげると、東京都の狛江市の住民は毎夏多摩川の河川敷で行われるバーベキューの悪臭や、出るゴミのひどさに悩まされていました。 行政に訴えても、河川敷を管轄する国土交通省は「河川法では自由利用が原則」、狛江市も「過度な規制は市民の利用の妨げ」と動きません(これはこれで大事な見識ではあると思います)。 そこで動いたのが地元の青年会議所です。 青年会議所は市民討議会の開催を提案します。 市民討議会とは、市民の中から無作為で選んだ人の中から希望者が参加して討議するもので、5人前後のグループに分かれて半年議論を重ねました。 そして出した結論が「禁止」というものでした。 これを背景として市議会で多摩川の河川敷でのバーベキュー禁止の条例案が可決されたわけです。 今、このような市民討議会は全国で200以上あるそうです。

 このように今、こういった草の根的な動き、“people’s power”とでも言えばよい動きが育ってきています。 人々は、行政が動くのを待つのではなく、あるいは誰か自分以外の人がやってくれるのを待つのではなく、自分たちで仲間と協力して動くことが社会を変える力を持つことに気が付き始めたのだと思います。

 さて、今まで述べてきたことを踏まえて、君たちのことに戻りますが、これからの社会を担っていく中高生である君たちはどのような心構えで学校生活を送ればよいでしょうか。 2つの点を指摘しておきたいと思います。

1.自分の意見を持てるようにする

 ブッダの言葉に、「自燈明」という言葉があります。 「自ら明かりを燈す」という意味です。 ブッダは亡くなる前に弟子たちに、自分は教えるべきことは教えた、私の死後お前たちは自分の判断に従って道を歩んでいきなさい、と語ったと言われます。

 自立した人間になるためには知識の習得は不可欠で、学校で教える授業がこれにあたります。 知識の習得は大事ですが、これだけではだめです。 自分の意見をしっかり持っていないと、耳触りのよいことは言うけれども内容は危険な考えの人間に流されてしまいます。 狛江市の条例制定についても、自分の考えに基づいて賛否を決めることが大事です。

 常日頃問題意識を持っておくと、それだけで随分違ってきます。 2学期の終業式で話をした学年別朝礼の利用も有効です。

2.きちんとした議論ができるようにする

 きちんとした議論とは、自分の意見を正しく相手に伝え、相手の意見にも耳を傾け、反論しながら内容を深めていくことです。 そして議論を重ねることで最終的には対立ではなく協働に持っていければいいと思います。 そこから建設的なものが生まれます。 2学期に観劇した「十二人の怒れる男たち」は参考になったと思います。 また、ホームルームや委員会活動も利用してください。 ホームルームでは、難しいテーマのもとで議論をしなければ質を高めることにならないわけではありません。 肝要なのは、どのようなテーマであってもきちんと話し合うことです。

 以上の2点を踏まえたうえで、最終的には「発信」することが大事ですが、この点については、六甲生はよくやってくれていると思うので、ここでは取り上げませんでした。

 以上です。 血の通った個人個人のつながり、支援社会(man for others with others)を築いていくことが今求められていることであり、その延長線上にある草の根の運動、people’s powerを育てるための第一歩として、中高生なりに自分の意見を持ちきちんとした議論ができ協働できるような人間になってくれることを期待して始業式の話を終わりたいと思います。