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校長先生のお話

2011年03月度のお話

2011年03月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2011年03月19日

3学期終業式

-東日本大震災で亡くなられた方々のために1分間の黙祷-

 今年度1年、色々なことがありました。仮設校舎への引っ越しとそれに伴う諸々の変化は六甲における最大の出来事でしたが、3月11日に起こった東北地方や関東地方を襲った大震災は、それらの記憶をすべて吹き飛ばしてしまうような悲惨な出来事として記憶にとどめられるべきでしょう。

 テレビに映し出された地震の凄まじさに息をのんだ人も多かったと思います。繰り返し流されていた何もかも飲み込む津波の恐ろしさ、進まない救出活動、増え続ける犠牲者の数等々……。避難所では数日たった後でも食料や水が十分に確保されておらず、この点では阪神大震災の時より状態は悪いように思います。首都圏の状況も心配です。計画停電が実施されたため、公共交通機関のダイヤが乱れて通学・通勤に大きな影響が出ています。姉妹校の栄光学園では地震当日は100名近くの生徒が帰宅できず、学校に泊まり込んだそうです。それらの中で特に心配なことが原発の状況です。一体これからどうなるのだろうか、という不安を抱いている人は多いのではないでしょうか。阪神大震災を経験した関西の人びとは16年前を思い出して他人事ではない惨事として受け止めているはずです。君たちのご両親はおそらく我が事のように事態を受け止めていることでしょう。

 自然の脅威に人間は本当に無力だと感じます。なすすべもない状況です。瓦礫の山を背景に放心状態で足を抱えて座っている女性の写真が新聞に載っていましたが、このような人が何万、何十万といることでしょう。このようなとき、私たちはどうするべきでしょうか?

 旧約聖書にヨブ記という書物があます。ヨブは信仰心の篤い、正しい人で、大変な資産家でもありました。神はヨブを信頼していましたが、サタンが「ヨブは利益もないのに神を敬うはずはない。彼から財産を奪えば彼はあなたを呪うに違いない」と神に言います。神はサタンにヨブを試すことを許します。神は、ヨブの命以外、彼のものを一切すきなようにしてよいとサタンに言います。そこでサタンはヨブから牛、ろば、羊などの家畜、使用人、さらには息子たちまでも奪います。しかし、それでもヨブは愚痴をこぼしませんでした。するとさらにサタンはヨブをひどい皮膚病にかからせます。彼の妻は「神を呪って死ぬ方がましでしょう』と言いますが、ヨブはそのようなひどい状況になっても神を恨みはしませんでした。

 この後、ヨブ記は人間の神理解について難しい議論が続くのですが、紹介はここまでにしておきます。

 私たちは、ヨブのような悲惨な状況に陥っても神に対する信頼を失わない人間になりたいと思います。神に対する信頼、これは希望と置き換えても良いものだと思います。私たちはどのような状況にあっても希望を失ってはいけません。希望を失いかけている人々には手を差し伸べていきたいと思います。

 私たちにできることはわずかです。でも、それでよいと思います。被災した人たちにとっては、会ったこともない遠くの場所の中学生・高校生が自分たちの小遣いの中からお金を出してくれたその気持ちが大きな慰めになります。六甲では生徒がすぐに反応して、地震直後から募金活動を行い、中学生・高校生がお小遣いからたくさん募金してくれました。また、新聞に出ていましたが、卒業生も街頭募金を呼び掛けていました。その時募金活動を行った仲間が大学の友人ではなく、高校時代の友人たちであったことを読んで、そうだろうなと思ったものです。

 私の六甲の同期の友達の例をあげると、東電の株の配当を返上した、ゴルフコンペを中止して義援金に回した、エコ・ポイントを義援金に回した、生活必要物資を買って送った等々やっています。このように多くの人びとからの援助は、皆が声援を送ってくれている、自分は独りではないという気持ちにつながり、心の大きな支えになります。

 また、これは私の経験ですが、阪神大震災で被災した私が最も心を慰められたのは友人から送られたカセットテープでした。そのテープには友人が時間をかけて編集したモーツァルトの音楽が収められていたのです。壊れた自宅を撤去し、地盤改良し新しい家を建てなければならない私にとっては、カセットテープはもちろん一銭の足しにもならない贈り物ですが、時間をかけた手作りの音楽テープに込められた「がんばれ、自分もついているぞ」という友人のエールはなによりも大きな勇気を私に与えてくれました。

 これらすべての援助のキーワードは「希望」という言葉だと思います。多くの人びとからの「がんばれ」という声援は明日への希望、力になります。

 様々な震災関連の報道を見ると日本も捨てたものではないことを実感します。すぐにでもボランティア活動を始めたく思っている人がたくさんいること、外国の報道でも称賛を持って紹介されたことですが冷静でパニックに陥らない被災者、他国では考えられないことらしいですがシャッターが開いていても略奪がないこと、危険を顧みず原発周辺で必死の作業をする「フクシマ50」と呼ばれる人びと、悲惨な映像を流さない配慮など、すべてを含めて今の日本の状況に「希望」という言葉を贈りたいと思います。

 今日の話は震災の話に終始しましたが、2010年度を終えるときに起こった大震災を自分のものとして受け止めることは、今の私たちに与えられた最大の課題ではないでしょうか。

 今回の地震で被災された方々の苦しみ・悲しみを共有しながら、それでも私たちは希望を持ち続けたいと願います。私たちが人びとに希望を与えることのできる人間に成長していくことができるよう願いながら、新たな年度を迎えたいと思います。

 最後に、被災された方々のために旧約聖書の一節を紹介することで終業式の話を終えることにします。イザヤ書の46章にある神の声です。

 「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:4)