在校生・保護者の方へ

HOME › 在校生・保護者の方へ > 校長先生のお話

校長先生のお話

2011年04月度のお話

2011年04月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2011年04月08日

1学期始業式

 2011年度が始まりました。昨年度末の3月11日には東日本で大震災が起こり、大変な被害が出ました。万を超す犠牲者、跡形もなくなった街並みを見てやりきれない思いを抱いている人が多いと思います。また、原発のことも含めて、これからどうなっていくのだろうと不安を抱いている人も多いと思います。

 震災直後から各地で活動自粛の動きがありました。これに対して、自粛しても被災地の人たちが喜ぶことはない、あるいは日本の経済が減速するから自粛すべきではないと言う声があります。もっともな意見だと思います。しかし一方で、被災しなかった人びとの、浮かれて何かするような気分にはとてもならないという気持ちも良く分かります。冷静な客観的判断に従うのか、自分の主観的な気持ちを大事にするのかの違いでしょうね。

 復旧に向かう体制ができるようになれば自粛気分から徐々に平常に戻ることと思います。ただ、その時に今度は私たちに真の共感が試されることになるのではないでしょうか。つまり、たとえば-これは結局実行される必要はなかったようですが-交換部品が入りにくくなったので電車が間引き運転される、というような事態が起こったとき、あるいは生活必需品が品薄になり我慢を強いられる事態になった時、そこで迷惑だと言って怒るのか、被災地の復興を願って我慢するのか、といったようなことです。このようなときに、私たちは困っている人の立場に立てるような真の共感を持ちたいと思います。

 本題に入ります。少し古い話になりますが、今年の元日に出された全国の新聞の社説・論説を取り上げてみたいと思います。元日の社説・論説はその新聞の新年に向けての提言が載せられることが多く、全国の新聞の社説・論説に目を通すと、新しい年に向かっての日本の課題の輪郭が浮かび上がってきます。しかし今日は、元日の社説・論説を少し違った角度から見てみようと思います

 掲載されていた新聞の数を数えると55紙ありました。それらの中で、9割にあたる50紙が、取り扱ったテーマは政治、経済、外交などさまざまですが、現在の日本の状況を厳しいものとしてとらえています。もちろん、結論としては、「現状は厳しいけれども現状打開に向けてがんばろう」とか、あるいはそのための提言を盛り込んだものであったりして前向きな内容になっているのですが、前提としての現状を厳しいものと認識している社説が圧倒的であったわけです。

 ところで残りの5紙は厳しいという状況にまったく触れていない新聞でした。これら5紙のうち、2つは自県にある文化遺産を有効にアピールして地域の活性化に結び付けようというもの、1つは地域主権を推進しようといった内容のものでした。私が特に注目したのは残りの2つの新聞で、それは長崎新聞と沖縄タイムスです。長崎新聞の論説は、「今、アジア大交流時代が始まっているが、わが県には幕末にグローバルビジネスを立ち上げて成功した長崎の女性貿易商、大浦慶という先達がいる。大浦慶を見倣い、力を合わせて長崎をアジアの長崎として発展させよう」というもの。そして沖縄タイムスの社説は、琉球・沖縄史の傑物3人が時空を超えて一堂に会し熱い議論を交わすという設定で、「沖縄を平和の国際公共財として沖縄から世界に積極的に発信しよう、これが東アジアの中で沖縄が担うべき役割だ」と説くものでした。

 興味深いのは、長崎県にしても沖縄県にしても地理的・歴史的に東アジアに開かれた位置にある県だということです。長崎は鎖国時代においてもオランダや中国と途切れることなく交易を行っていたし、一方沖縄は、日本、朝鮮半島、中国大陸、台湾、東南アジアのいわば扇の要に位置する地の利を生かし、琉球王国時代から中継貿易で繁栄した地で、また太平洋戦争では「本土」の捨石として悲惨な沖縄戦が展開された悲しい歴史があり、強く平和を願っている県でもあります。

 このように海外との接点を持っている2つの県が元気で、自分たちの持っている人材、歴史、地の利などの地域財産、これを利用して外に向かって発信していこうとしている姿勢が論説・社説からも浮き彫りになってきます。これらの県の姿勢から私たちが学ぶべきことは大いにあるのではないでしょうか。

 君たちは、自分の持っている知的能力に加えて友人、学習環境、家庭環境などすばらしい財産を持っています。それらを利用して自分の能力に磨きをかけることで自分のためだけでなく世界に貢献する人間になってもらいたいと思っています。日本は今厳しい状況にあるだけに、若者である君たちには是非希望を持って努力してもらいたものです。新年度の始まりにあたって、君たちにとって希望と努力の1年になるよう願いながら、始業式の話を終わります。

 さて昨年まで私は“挨拶をしっかりしよう”ということを君たちに訴えてきました。2年を経て、挨拶についてはある程度良くなってきました。廊下ですれ違う時に挨拶をしたり、頭を下げたりする生徒は以前に比べてかなり増えました。しかし、すべての生徒がそうであるわけではありません。校外でのマナーの向上まだまだではあり、これからも注意していかなければなりませんが、年度目標としては2年間で一応の区切りをつけることにします。

 “挨拶”に代わる今年度目標ですが、今日話をしたように君たちの持っている能力は素晴らしいものがあります。しかし、それは磨かなければ宝の持ち腐れ。がんばって知的能力を伸ばしてほしいと思っています。そのために、今年は“授業を大切に”という目標を設定しました。

 授業が勉学の基本であることはいうまでもありませんが、それをおろそかにしている生徒が結構います。学ぶ姿勢の基本は授業に向かう態度です。それをしっかり押さえなければ、土台ができていないところに家を作るようなもの、つまり砂上の楼閣です。

 授業の開始に遅れない、瞑黙をきちんとする、授業準備をしっかりおこなう、居眠りをしない、騒がない等々……。これができると理解力が全然違ってきます。君たちの知的能力を伸ばし、世界で活躍してもらうための基本の基本が“授業を大切にする”ことです。今年はそれを目標にがんばってもらいたいものです。

中学入学式式辞

 本日はあいにくの空模様となりましたが、雨が少なく乾燥していた冬場を顧みると、雨に濡れそぼった桜の花が心なしか喜んでいるようにも見えます。

 74期新入生の皆さん、六甲中学校入学、おめでとうございます。君たちは六甲中学に入るために一生懸命勉強してきました。時には歯を食いしばって頑張ったこともあったかと思います。君たちのがんばりは無条件で称賛されるべきことです。私は本日入学式を迎えた新入生に対して心からおめでとうと言いたいと思います。

 君たちが六甲の中学生になってから最初の登校日は中1オリエンテーションでした。初日は緊張のためか、あるいは慣れない制服に身を包み、大きなかばんを持って坂道を登った疲れからか、一時体調を崩す生徒も見受けられましたが、2日目には元気になり早々と友だちもでき中庭で楽しく遊ぶ光景も見られました。これからの学校生活で友だちをたくさん作り、クラブ活動など課外活動に積極的に参加し、勉強にも一生懸命取り組み、充実した6年間を送ってくれることを願っています。

 ところで、君たちが入学した六甲中学校とはどのような学校なのでしょうか。すでに知っていることかとは思いますが、六甲入学に際して、自分の入学した学校がどのような教育方針を持った学校なのか改めて確認しておくことは大変大事なことなので、ここで一緒に考えてみたいと思います。

 話は今から450年以上前に遡ります。16世紀のヨーロッパにフランシスコ・ザビエルという人がいました。スペインの出身で、パリ大学に入り、哲学を学んでいました。そのパリ大学に、やがてイグナチオ・ロヨラという人が入ってきました。ザビエルより15歳も年上ですからおじさん学生といったところでしょうか。しかし、このロヨラという人は気高い信仰と燃えるような情熱・信念をもった人物で、自分の信じるイエス・キリストの生き方について熱心にザビエルらに語りかけました。イエスという方は、「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」という言葉に表されるように、世の中の恵まれない人、貧しい人の立場に立ち、神の国の到来を説いてキリスト教を開いた方です。ザビエルは情熱・信念の人ロヨラから決定的な影響を受け、ロヨラと行動を共にする決意を固め、ロヨラを創始者として結成された修道会の創設メンバーの一人となりました。そしてイエスの教えを広めるために1549年、数千キロの波濤を越えて日本にやってきたのです。こうして日本にキリスト教が初めて伝わりました。

 ザビエルは日本に滞在中、熱心な布教を通して多くの日本人と交わり、それらの交わりを通して、日本人が礼儀正しく、知識欲に燃えた民族であることを知り、日本人は自分がこれまで出会った民族の中でもっともすぐれているという称賛の手紙を仲間に書き送っています。

 イグナチオ・ロヨラがフランシスコ・ザビエルらとともに創った修道会こそがイエズス会でした。ザビエルは、日本で学校を設立する望みを持っていました。日本での布教の許可をもらうため天皇に会見する目的で京都にまで来ています。その目的はかないませんでしたが、この後に続く鎖国時代が終わるとイエズス会士は明治の末年に再来日します。そして1937年には、日本におけるイエズス会の中学校としては最初の学校を神戸の六甲山の中腹に創設しました。これが六甲中学校です。ザビエルは京都に向かう途中、瀬戸内海を通って堺までの船旅の間にいくども六甲山系を眺めたことでしょう。その六甲山系の中腹に自分の意志を継いだ学校が没後400年近く後に設立されるとはザビエル自身思ってもみなかったことだと思います。君たちはそのような経緯を経て創られた六甲中学の74番目の学年として、今日入学式を迎えたわけです。

 「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」というイエスのメッセージは、イエズス会士のフランシスコ・ザビエルを通して「人々に仕える人間」、「他の人々のために生きる人間、“Man for others”」として、今、六甲学院の教育目標となっています。今日の入学式にあたって、君たちにはこのことを深く心に刻んでほしいと願っています。

ザビエルの生きた16世紀は「大航海時代」と呼ばれる時代で、世界の一体化が進んだ時代でした。グローバルな真の世界史が始まった時代といえます。そのような時代にザビエルは日本にキリスト教という新しい宗教を伝えましたが、彼の活動はそれにとどまっていません。日本の若者をインドに行かせて日本人の視野を地球的規模に押し広げようとしたほか、これは実現しませんでしたが、高度な学識ある日本の仏僧をローマに送って教義論争をさせる構想も持っていました。このように、ザビエルは世界のグローバル化が始まる時に日本に新しい文化を紹介しただけでなく、日本を世界に紹介するための働きもおこなっているのです。

 六甲学院はイエズス会士フランシスコ・ザビエルの意志を継ぐ学校です。六甲で学ぶ君たちが、“Man for others”の精神を養い、ザビエルにならって、神戸、あるいは日本にとどまらず、世界にその精神を発信していくことができるよう期待しています。

 最後になりましたが、新入生の保護者の皆様、本日はご子息のご入学、おめでとうございます。
皆様は、六甲学院の学校案内やホームページに紹介されています「六甲生のプロファイル」をご覧になったことがおありかと思います。「六甲生のプロファイル」とは、“Man for others”を実現するために六甲が独自に作成した教育目標です。プロファイルに書かれている若者像をかいつまんでご説明すれば、ありのままの自分を素直に受け入れ、他の人々の存在を肯定的に受け入れ、強い意志力をもって真理を探し求める姿勢を持つことで、よりよい社会を作り上げようとする人間ということになります。
私たち六甲学院の教職員はご子息を大切にお預かりし、6年後には「プロファイル」に書かれているような志向性をもった若者に成長してくれるよう全力をあげて取り組む所存でございます。保護者の皆様方におかれましては、どうぞ六甲学院の教育にご理解賜り、ご協力をお願いいたしたいと存じます。

 ご子息と保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますことをお祈りいたします。また、このたびの東日本大震災で亡くなられた方々が主のみ前で永遠の安息を得ることができますように、また親しい人を亡くされた方々、被災されて苦しんでおられる方々に神様の御憐れみによって慰めが与えられますよう祈りつつ、式辞とさせていただきます。

2011年04月11日

基礎基本を大切に

 今日の話は最近読んだ本の紹介から始めたいと思います。伊東乾という指揮者の書いた『指揮者の仕事術』という本で、題名通り指揮者とはどのような仕事をする音楽家なのかを興味深い事例を紹介しながら解説しており、なかなか面白かったです。クラシック音楽が好きな生徒、指揮者の仕事に興味のある生徒には一読を薦めます。

 興味深いエピソードがいくつも紹介されているのですが、その中で今日はリハーサルと本番の違いについて書かれている部分を紹介します。著者は2人の指揮者、レナード・バーンスタインとカルロス・クライバーを取り上げています。バーンスタインは有名な指揮者ですから知っていると思いますが、知らない生徒でもクラシック音楽界を題材にして最近ヒットしたコミック「のだめカンタービレ」は知っているでしょう。準主役として登場する若手の優秀な指揮者に千秋という人物が出てくるのですが、その千秋の師匠として登場するシュトレーゼマンなる指揮者のモデルがバーンスタインらしいです。ちなみに、千秋のモデルとなったのは佐渡裕さんとのことですが、千秋と佐渡裕では随分体型が異なりますね。

 さて、このバーンスタインが1990年に「札幌芸術の森」という音楽祭で指揮をするために来日した時のことです。このときバーンスタインは、世界各地からオーディションに合格した若手演奏家を集めたオーケストラの指揮とプロのロンドン交響楽団の2つを指揮しました。若手オーケストラのときはアシスタント指揮者がついていました(この時のアシスタント指揮者は、現在大阪フィルハーモニーの常任指揮者となっている大植英次さんでした)。アシスタント指揮者が音程やリズムなど初歩的なミスを直しているうちにやがてバーンスタインが入ってきて指揮台に上がり、練習を始めます。彼は開口一番、「今やったところは、極上の東洋のじゅうたんのように、滑らかで……」というようなアドバイスをしてから振り始めたのですが、そうすると不思議なことにオーケストラの音が一変します。まさに表現通りの気品ある滑らかな演奏になったそうです。まことにマジックという他ないほどの変化を遂げたわけですが、ただ間違えてほしくないのは、伊東さんは、だからこのような詩的、感覚的な表現を使って指導することが大事であると言っているわけではないということです。彼の言いたいことは逆で、このときの劇的な効果は憧れのバーンスタインの指揮で演奏してみたいと願っている若手演奏家が集まったオーケストラだったからであって、このようなケースはむしろ例外であろうということです。実際、後日リハーサルをおこなったロンドン交響楽団に対する練習では、プロの演奏家であることを意識して楽譜に書かれていることに沿った指摘で練習を進めるオーソドックスなものだったそうです。そういえば、先ほど紹介したアマチュアオーケストラの練習でも、実はバーンスタインの登場する前に副指揮者の具体的な指摘による練習があったわけで、バーンスタインのアドバイスはその上に立ったものであったわけです。

 もう一人の指揮者カルロス・クライバーですが、彼も一種カリスマ的な指揮者で、演奏者を夢見心地にさせる演奏で知られ、生前から半ば伝説的になっていました。しかし、彼のリハーサルも本番のふわふわした指揮ぶりを考えると意外なようですが、極めてオーソドックスでかつ無駄のない手堅いもので、言葉の指示も的確だったと伊東さんは書いています。手堅いリハーサルを積み重ねて本番は皆の演奏が自由に飛翔できるように指揮棒を振った、ということなのです。

 2人の世界的な大指揮者にして、練習の時にまず押さえたことが基礎基本の確認だったということ、これは私たちが大いに参考にすべきことだと思います。基礎基本を大事にするということは、音楽に限らずどの分野においてもあてはまることだからです。

 始業式で話した通り、君たちは周りの環境も含めて大変恵まれた素質を持っています。その恵まれた素質を、自己を磨くことで大いに伸ばしてほしいと思っています。そのためにまず大事なことは、プロのオーケストラの練習と同じく基礎基本の確認です。基礎をしっかり固めた上でこそ自分の能力を伸ばすことができます。基礎が固まっていないのに次へ進むのは砂の上に建物を建てるようなもの、砂上の楼閣です。そして勉強における基礎基本は授業です。忘れ物をせず、授業にしっかり取り組み、ノートを取り、復習・予習を行う、ここをしっかり押さえることが大事です。次なる飛躍のために、ぜひ基礎基本の確立を目指してがんばってください。

2011年04月18日

言葉を十分に使って説明することの大切さ

 今日は、最初に、あるサッカーの国際試合が終わった後に行われたインタビューの質問の部分を紹介しますから、君たちならどのように答えるか、考えてみてください。

このようなインタビューです。

アナ「お疲れさまでした。アジアの強豪を抑えての今日の一戦、いかがでしたか?」
アナ「決勝点となった、あのシュートを打ったときは、どんな気持ちでしたか?」
アナ「来週に控えています、サウジアラビア戦に向けて、一言お願いします」

さて、どのように答えますか?

選手の答えを予想して私が考えたものが次のようなものです。

アナ「お疲れさまでした。アジアの強豪を抑えての今日の一戦、いかがでしたか?」
選手「そうっすね。相手は評判通りかなり強かったですが、皆が一丸となったんで勝つことができました」
アナ「決勝点となった、あのシュートを打ったときは、どんな気持ちでしたか?」
選手「抜けてくれという気持ちでいっぱいでした」
アナ「来週に控えています、サウジアラビア戦に向けて、一言お願いします」
選手「一戦一戦全力でいきますんで、サポーターの皆さんも応援、お願いします」

 君たちも似たような答えを考えたのではないでしょうか。あるいはまったく違っていたかもしれませんが、少なくとも私が考えた答えがテレビで流れても違和感は覚えないでしょう。つまり、私の考えた返答はごく普通の答え方だということです。

 しかし返答ではなく質問そのものについて考えてみると別の見方もできます。つまり、この質問は試合を見てもいない素人の私でも答えられる質問だともいえるわけです。感想や抱負を聞いているだけのものです。試合を振り返っての技術論的、作戦論的な質問ではまったくない、いわば情緒的な質問です。

 私は、選手の気持ちを聞く質問が一概に悪いとは思いませんが、聞いていて面白いと感じるのは技術論的、作戦論的質問だろうと思います。アナウンサーはもっと技術や作戦に関わる質問を入れるべきでしょう。感想や抱負を聞くだけの質問では質問のレベルが低いと言わざるを得ません。このような質問を毎回受けているとプロの選手はいい加減うんざりするでしょう。もちろんプロの選手はサービス精神も必要でしょうから、実際は皆誠実に答えていくのでしょうが、実は先ほどの質問を実際に受けた選手は中田英寿選手、ヒデでした。彼の返答はそうではありませんでした。

アナ「お疲れさまでした。アジアの強豪を抑えての今日の一戦、いかがでしたか?」
ヒデ「何がですか?」
アナ「決勝点となった、あのシュートを打ったときは、どんな気持ちでしたか?」
ヒデ「やっているときは、肉体が反応しているだけなんで、気持ちとかはとくにありませんけど……」
アナ「来週に控えています、サウジアラビア戦に向けて、一言お願いします」
ヒデ「とくに言いたいことはないです」

味も素っ気もない返事ですね。これだからヒデ選手に対するマスコミの評判は良くないのですが、彼の「いい加減にしてくれ」という気持ちは分からないでもありません。

では、どのような質問をすればよいのでしょうか。

 専修大学教授の岡田憲治さんが『言葉が足りないとサルになる』という本を書いています。題名が刺激的であったことと、私も常日頃君たちの話を聞いていて、もう一言説明がほしいと思う場面が多いので、大いに共感して買って読んでみたわけです。今の若者たちの会話の一言一言は非常に短く、なかには単語だけの場合もあります。その短い一言は案外的を射た表現であり、その新しい言葉を作りだす若者の創造力には感心させられる一方、大雑把な括りでまとめてしまうため、個々の聞き手によって解釈に随分幅が生じ、それが無用な誤解を生む一因になるのではないかと思っています。

 話を元に戻しますが、最初にあげたアナウンサーの質問は、この本の中で岡田憲治さんが紹介しているもので、岡田さんはこれに続く部分でご自分が考えた仮想質問も紹介しています。次のようなものです。

「後半35分に交代出場しましたが、一点リードしている状況で、あなたに期待された役割は何だったのですか」
「暑さで、相手チームの守備陣の足が止まっていたのに、得意の速いパス回しをしなかったのはなぜですか」
「右サイドから中に絞って得意の左足でゴールの右隅を狙うパターンはキーパーに読まれていましたが、それをやり続けた理由は何ですか」
「終了間際にキーパーと一対一になりながら自分でシュートを打たなかったのはなぜですか」
といったような質問です。

 このような内容のある質問だと、選手は恐らく積極的に答えるだろうし、答えることで選手自身も試合の振り返りができ、次につながることにもなります。このような質問を毎回受けていると選手の力は確実にアップするでしょう。素人のアナウンサーとはいえ、内容のある質問をするとプロの選手の技術を高めることになるわけです。

 ここではサッカーの試合後のインタビューを例に出しましたが、きちんとした言葉を使って内容のある話をすること、これはインタビューに限らずすべての知的作業にあてはまる大事な姿勢です。言葉を適切に選択して内容のある話をすることはとても大事です。少ない語彙、内容の乏しい表現ばかり使っているとそのレベルで終わってしまいます。言葉を使って表現力豊かに説明すれば知的能力は当然上がります。そして、ここが重要な点ですが、きちんと説明できない部分がある場合、実はその部分については話している本人も充分に理解できていないのだということです。自分で判っていないから説明もうまくできないわけです。相手に自分の意図を正しく伝える努力を通して自分の論理思考の中で曖昧であったところが明確になるようになります。

 「相手に真意が伝わるように、きちんと整理して十分に説明する(説明できる)」ということを常日頃心がけるようにしてもらいたいものです。その機会は授業だけではなく、さまざまあります。たとえば今年度から6日制になり、朝礼で生徒が前に立って話をする機会が増えることになりましたが、よい機会の一つです。話をする生徒は場当たり的な話ではなく、皆に自分の言いたいことが伝わるように前もってしっかり準備して朝礼に臨むとよいでしょう。