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校長先生のお話

2012年04月度のお話

2012年04月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2012年04月07日

1学期始業式

 2012年度が始まりました。今年度の秋には新校舎が完成します。高校3年生にもわずかの期間でも新校舎を使ってもらおうということで工事を急いでもらっており、11月には新校舎への引越をします。新しい校舎は教室の広さが今よりも大きくなり、ロッカーも付きます。仮設校舎の建てられている第2グラウンドは人工芝になります。新校舎の完成を楽しみに待ちたいものです。

 さて、新しく始まった2012年度、みんなはそれぞれ自分の目標を立てたことと思います。3学期の終業式の時に話した通り、目標を持ちそれに向かってがんばることは自分の毎日の生活の充実につながる、周りにもよい影響を与えることになり、大きな意味のあることです。まだ1年間の目標を立てていない生徒はぜひ学期の始まった今、立ててほしいと思います。

 話は変わりますが、プロ野球も開幕しました。アメリカ大リーグも3月に日本で先行して始まりました。野球の好きな生徒は楽しみなことだろうと思います。ところで、日本の野球はアメリカのベースボールを取り入れたものですが、アメリカのベースボールと日本の野球ではその根底を流れる考え方に大きな違いがあると言われます。今アメリカのベースボールについてだけ話をすると、これは民主主義の発達と関係があるという興味深い説があります。

 これは佐山和夫さんという方が書いていることらしいのですが、私は永井洋一さんが書かれた『賢いスポーツ少年を育てる』という本からの孫引きで紹介します。大要、このようなことです。

 ベースボールのルーツは開拓期に実施されていた「タウンミーティング」と呼ばれる地域の自治会議の後に催された余興「タウンボール」にあるそうです。タウンミーティングでは各自の権利を明確に主張する話し合いがなされるわけですが、タウンボールでも一人ひとりの参加者が各自の権利を主張する意識は継続したため、バッターが「打つ」ことでしかプレーが連続しない形式になっており、バッティングをすることが、すなわちプレーに参加する自分の権利を行使すること、すなわち民主主義への参加なのだというのです。

 やがてタウンボールがベースボールの形式に整えられても、「打つ」ことの重要性は「自分がプレーする権利の表明」とみなされます。たとえば、ストライクゾーンというもっともヒットが出やすい場所に来たボールを打ちそびれると、「ストライク」とコールされます。これはもともと「グッドボール、ストライク!」という意味で、「よいボールなのだから打つべきだ」と積極的にバットを振ることを促すコールなわけです。逆にストライクゾーンを外れた場合は「ボール」とコールされます。これは、もともと「アンフェア・ボール」という意味で、投手が打者に対して打ちにくいボールを投げることが「アンフェア」であるとたしなめ、「もっと打ちやすいボールを投げろ」と要求するために使われたコールだというのです。

 このように、もともとバッターとしてボールを打つということが、ゲームを成立させる大前提であり、それは同時に、民主主義の中で自分の主体性を確認する行為でもあるという意識が含まれているというのです。

 日本の野球はルールが出来上がってからのベースボールを導入したものですから、ルーツにさかのぼる歴史の土台の上で行われているアメリカのベースボールと日本の野球を同列に論じることはできないと思いますが、積極的に打って出るベースボールの精神が積極的に参加して自分の権利を主張するという民主主義の基本につながるという指摘は大変示唆的なことです。

 「積極的かつ主体的に物事に関わる」 これを今年度心がけてほしいと思います。与えられたことを受け身的にこなすのでは自分の身に付きません。自ら進んで、つまり「主体的に」関わることで人間は成長します。自分の意見を筋道を立てて主張することにもつながるでしょう。そうなれば民主主義の発達にも寄与します。ぜひ積極的かつ主体的に関わる1年であってほしいと願っています。

 さて昨年度“授業を大切に”という目標を設定しました。どの程度達成できましたか。授業が大事だと日番日誌に書く生徒が出たり、生徒の朝礼でも授業を大事にしようと訴える生徒がいたりして、授業の大切さを理解してくれた生徒は一定数いました。しかし、全体としてはどうだろうか。私は時折廊下を歩いて、授業を受けている君たちの態度を見ていました。普通教室ではおおむね静かに授業を聞いていたようでしたが、中には寝ている生徒もいましたし、寝てはいないものの目がどんよりして覇気のない態度で授業を受けている生徒は高校生で結構多かったです。大学受験も近くなり意識が高くなって当然の高校生がこれではいけません。そして、中学生の方は移動教室での授業が騒がしく授業を受ける雰囲気ではないクラスもあり、学年会の先生方の注意を受ける学年がありました。これはまったくいただけないです。授業をしっかり受けることが知識を身につけるための基礎要件です。授業をもっともっと大切にしなければいけません。

 そこで今年度も“授業を大切に”を君たちの学校生活の目標とします。先ほど話をした積極的かつ主体的に関わるということは当然授業に対しても言えることなので、合わせて噛みしめてください。

 授業の開始に遅れない、始めと終わりの瞑黙をきちんとする、授業準備をしっかりおこなう、居眠りをしない、騒がない、積極的に質問をする等々……。これらができると理解力が全然違ってきます。君たちの知的能力を伸ばすための基本の基本が“授業を大切にする”ぜひともがんばってもらいたいものです。

 それでは、もう一度繰り返しになりますが、積極的かつ主体的にものごとに関わる1年になるようがんばってください。

入学式

 今年の冬は寒い日が続き、そのためか桜の開花が遅くなり、学校周辺ではまだ満開にはいたっておりませんが、ふもとの桜は今が見ごろになってきました。少々肌寒いですが、空は晴れわたり絶好の入学式日和となりました。

 75期新入生の皆さん、六甲中学校入学、おめでとうございます。入学式に先立って4月4日、5日にはオリエンテーションがありました。見ていると、坂道を上がってきた新入生が指導員の先輩にお早うと声をかけられ、お早うございます、と答える光景が目に入りました。挨拶の声は最初小さかったのですが、オリエンテーションが進む中で徐々に声も大きくなってきていました。また、友達もでき、休憩時間中は元気に中庭で遊んでいる生徒もたくさん見かけました。これから始まる6年間の六甲での生活、元気よくまた楽しく過ごしてほしいと願っています。

 さて、君たちは六甲中学校の75期生です。年月の流れを区切るとき、100年を4等分して区切りとしていくことがよくおこなわれます。君たちは75期生ですから、六甲は75年前に創立されたことになります。創立75周年を迎え一つの区切りとなる今年、六甲とはどのような目的を持って創られた学校なのかを創立当時を振り返って考えることは大きな意味のあることだと思います。

 六甲中学校はカトリックのイエズス会という修道会が設立した学校です。教育修道会であるイエズス会は日本ではすでに東京で上智大学を創っていましたが、次いで中等教育学校を新たに創ろうということになり、場所として教育熱の高い関西が選ばれ、阪神間の候補地の中から最終的に伯母野山の中腹が選ばれ1937年、学校が創られました。これが六甲中学校です。

 初代校長先生はイエズス会の神父であった武宮隼人先生でした。ドイツで教育学を学びましたが、現場での経験はない若干35歳の校長先生です。ですから校長としては経験のない、いってみれば素人でしたので、生徒の様子を見ながら、あるときには生徒に教えられながら生徒と一緒になって教育をするいわば手作りで学校を発展させていこうとされました。最初は全家庭を家庭訪問されたと聞いています。こうして第1期新入生を迎えて始まった六甲教育の最初の年の7月に阪神地方に大水害が起こりました。特に神戸の被害が甚大で、六甲中学校には裏山から土砂が校舎の1階に流れ込み、大小の石がごろごろころがってきて大きな被害を受けました。5日間の臨時休校となり、やがて学校は再開されましたが、巨大な石は撤去することもできず校庭に放置され、やがて生徒たちがその上に上って遊ぶ遊び道具と化しました。

 創立当初、すでに中国大陸では戦争状態にあった日本でしたが、やがて太平洋戦争が起こります。欧米を敵に回した日本にとってキリスト教は敵性国家の宗教であり、六甲は学校存廃の危機を迎えます。軍部の査察が入りましたが、武宮先生の自らの信念を曲げない気骨とその人柄が査察官の共感を呼び、最後には査察官自ら「六甲万歳」を唱和して帰っていき、事なきを得ました。

 そのような、自然災害や軍部による圧迫を克服した武宮先生が繰り返し生徒に語った言葉が、「ケチな人間になるな」というものでした。「ケチな人間になるな」。「ケチな人間になるな」という言い回しは俗っぽい表現かもしれませんが、これをスマートな表現に言い換えれば、「理想を高く掲げ、目先のことにとらわれず自分にプライドを持って生きる人間になりなさい」ということです。

 「理想を掲げる」、「目先のことにとらわれない」、「プライドを持つ」、とても大事な姿勢です。人はすぐに手に入る楽なこと、楽しいことに目が行きがちですが、それらはすぐに消えてしまい何も残りません。そのようなものに惑わされず、遠くを見つめて理想を高く持ち、自分にプライドを持って生きることの大事さを武宮先生は繰り返し説かれたのです。

 武宮先生は、引退後、30周年を記念して校舎の増改築を行った時に六甲学院から依頼されて、「ケチな人間になるな」という言葉に込められた自身の思いを、先程紹介した大水害でころがってきて生徒の遊び道具になっていた石に碑文として残されました。君たちはもう読んで知っているかもしれませんが、このような内容の碑文です。

“すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。
その過ぎ去り消えさって行くものの奥にある
永遠なるもののことを静かに考えよう”

 六甲は永遠なるもののことを考えて生きる人間を75年にわたって育ててきた学校です。
君たちも知っての通り、六甲の教育目標は“Man for others(他の人びとのために生きる人間)”です。永遠なるもののことを考える姿勢を持つことで自分だけの世界ではなく他の人びとのことにも思いをはせることができ、他の人びとのために生きることができるのです。“Man for others”の基礎には永遠なるものが存在しています。“Man for others”については、六甲在学の6年間を通じて色々なところで教えられ、また経験することと思います。ぜひ在学中に“Man for others”の精神を身に着けてくれるよう願っています。

 さて、碑文がはめ込まれた石に戻りますが、この石の変遷はとてもおもしろいものです。裏山からごろごろころがってきて最初は迷惑な邪魔者でした。遠くへ持っていくこともできないので校庭の隅に放っておくと、やがて生徒の遊び道具になりました。その後、立派な銘板がはめ込まれると校舎の南側の正面玄関の前に置かれて立派な石碑となり、今では六甲を象徴するモニュメントになっています。何も知らない人が見れば、この石は高いお金を出してどこかで購入したものだと思うことでしょう。

 嫌がられた時期もあったでしょうが静かに耐えました。生徒が上に乗ってきたときは喜んだかもしれません。銘板がはめ込まれ、皆が共感の眼差しで見上げるようになった今は面はゆく居心地の悪い気持ちかもしれません。でもいつもありのままの自分を受け入れ、黙って自分に与えられた役割を果たしてきました。

 75期生はこの石のようであってほしいと願っています。武宮先生は軍部の圧力の強かった戦時中にあっても自らの信念は曲げませんでした。逆に戦後になり何もかもが自由になった時代になっても、良いものは良いということで戦前からの習慣を残しました。便所掃除や中間体操などがそれです。これらは六甲以外ではあまり多く見られない習慣ですが、今では便所掃除の人間教育面での効果が各方面で見直され、公立中学校でも導入している学校があると聞きます。企業で便所掃除を行うところもあります。また、六甲が数十年前から取り組んできた社会奉仕活動は今ややるのが当たり前の時代になっています。私はある雑誌に文を寄稿した折、このような六甲を“バンカラで先端を走る”と表現した覚えがあります。

 75期生は武宮先生に倣い、周りの流行に流されず、永遠なるものを見つめながら何が正しいことなのか、何を自分はすべきなのかを考え行動する人間になってください。そうすれば6年後に六甲を卒業するとき君たちは未来の社会を背負って立つ頼もしい若者に成長しているはずです。

 最後になりましたが、新入生の保護者の皆様、本日はご子息のご入学、おめでとうございます。ただ今新入生諸君に向けて話しましたとおり、六甲は永遠なるもののことを考えて生きる人間を75年にわたって育ててきた学校です。私たちは、ご子息が欠点も含めたありのままの自分を素直に受け入れ、と同時に他の人びとの存在も肯定的に受け入れる人間になってくれることを願っています。また、強い意志力をもって真理を探し求める姿勢を持つことで、よりよい社会を作り上げる意欲を持つ人間に育ってくれることを願っています。

 私たち六甲学院の教職員はご子息を大切にお預かりし、6年後には今述べましたような志向性をもった若者に成長してくれるよう全力をあげて取り組んで参ります。保護者の皆様方におかれましては、どうぞ六甲学院の教育にご理解を賜り、ご協力をお願いいたしたいと存じます。

 ご子息と保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。

2012年04月09日

ちょっといい話

 今朝は落語家の三遊亭鳳豊さんが「にっぽん人情小噺」という題で雑誌に連載している話のなかに、なかなかいい話があったので紹介します。

 いつも京都でボランティア活動をしている愛知県の先生の話です。この日もボランティア活動のために約束の時間に集合場所に行くと、顔なじみの幹事の先生がいて、その先生から今日は地元の女子高校生二人と組んで募金活動をしてください、と頼まれました。「分かりました」と言って募金箱を受け取ったのですが、一緒に組む予定の女子高校生が見当たらないのです。仕方なく先に決められた場所に立っていると、間もなくこちらに向かってくる二人の女子高生が見えました。でも二人の雰囲気は、ボランティア活動をする高校生というイメージとはまったくかけはなれていて、まつ毛は長く、口紅は塗っている、指の先はネイルでぎらぎらしていました。

 「おはよう、君たちはボランティアに来たの?」と聞くと、一人は挨拶を返したものの、もう一人はブスッとしていました。先生は、それでも自己紹介をした後、彼女たちにボランティアに来た理由を訊ねました。すると、さっきブスッとしていた女の子が、いかにも面倒くさそうに「先公に言われたから」と言うのです。一瞬ムッとしたのですが、自分の教え子ではないので我慢をして、もう一人の子に「先生が何て言ったの?」と聞くと、二人とも学校の成績が悪いだけでなく、態度もよくないので、本来ならこのままでは進級できないけれど、今日、ここでボランティアをやれば単位をあげると言われたので、仕方なく来たというのです。

 ボランティアと引き換えに単位をやるという先生も先生だが、いま、そんなことを言っている場合ではありません。「わかった。じゃあ、今日一日、よろしくね」と言って、先生は駅の乗降客に向かって、「お願いします!」を続けました。でも、この女生徒たちは「お願いします」のひと言も発しません。相変わらず、憮然とした顔で、通り過ぎる人々を眺めていました。まさに、時間さえ過ぎればそれで単位がもらえると思っているようでした。

 一時間もたったころ、先生がふと気づくと、その二人の目から大粒の涙が頬を伝わっているのです。目のまわりの化粧も崩れて汚くなっています。
泣きたいほどつらい仕事なのか!だったら帰れ!
先生はそう思って、彼女たちをにらみましたが、ところが、そうではなかったのです。

 きっかけは、ひとりの品のいいおばあちゃんが彼女たちの箱に一万円札を入れて、「はい、お嬢さんたち、これをお願いしますね」と言って、彼女たちに深く頭を下げたのだそうです。女子高校生たちは、この「お願いします」という言葉とそのお辞儀に胸が詰まったのです。自分ではふてくされてやっているのに、そんな自分たちにも頭を下げて「お願いします」と言ってくれたおばあさんの態度が、心の琴線に触れたのです。
これまで生きてきた十六、七年、誰からも期待されず、「冗談じゃねえや」と精いっぱい突っ張ってきた彼女たちにとって、自分に向けて言われた「お願いします」というひと言がうれしかったのです。周りが無視するこんな私でも、やることがあるんだ。期待されているんだ。そう思ったら胸が一杯になったそうです。おばあさんだけではなく、次の人も千円札を出して、「お願いします」と言って募金箱に入れてくれる。また、次の人も……。お願いしているのはこっちなのに。

 募金活動を終えて帰ろうとした先生に彼女たちは、泣きながら「先生、今度、また何か私たちにできることがあったら、言ってください」と言ったそうです。そして彼女たちは顔だけでなく心の化粧も落として先生のボランティア活動に積極的に参加し、やがて、二人とも卒業していきました。いま、一人は教師になり、一人は福祉の世界で働いているそうです。

 このような話です。読んでさわやかな気分にさせてくれる大変いい話だと思います。
世間から嫌われ、何の役にも立たないと思っていた自分が相手から感謝されまた頼られもする経験をしたことで自分の存在を肯定することができて、以後積極的に生きることができるようになったわけで、欠点はたくさんあるけれど自分の存在を肯定的に受け止めることができるようになると人間は大きく変わります。自分を肯定的に受け止めることはとても大事なことです。

この話の主人公は二人の女子高生でしょうが、もう一人の登場人物であるおばあさんにも注目してほしいと思います。このおばあさんは見た目にとらわれず、しぶしぶ立っている彼女たちの心の動きには構わず、募金活動をしていることそのことに対して二人を評価して頭を下げているのです。そして「ご苦労様です」の意味を込めて「お願いします」と言ったのでしょう。相手を信頼するおばあさんの澄んだ心が二人の突っ張った態度を柔らかくし、人生も変えたわけです。

 君たちも自分を肯定的に受け止めることのできた女子高生から学んでほしいと思うと同時に、相手を肯定的に受け止めたおばあさんの行動からも大いに学んでほしいと思います。

2012年04月16日

よい医者と六甲生

 六甲生の中で医学部を志望する生徒は毎年かなりの数になります。そこで今日はお医者さんの話をします。

 淡路島の阿那賀診療所の院長で作家活動もしている大鐘稔彦先生という方がおられます。作家としては、「孤高のメス」という題の小説を書いておられるので知っている生徒もいるでしょう。この大鐘先生が朝日新聞に「医の道 世の道 人の道」というタイトルで連載記事を書いているなかの話を紹介します。大鐘先生が近くの温泉からコールがかかって駆けつけた時に、70がらみのおばあさんが大鐘先生が診療所の医師であることを知って、話しかけてきたそうです。「わしは診療所にはもう何年も行っとらん。診療所の先生はすぐに怒るんや。なあーも悪いことしとらへんのに何で怒鳴られなあかん?アホらしいからもう行かんことにしたんよ。」

 このようなことを、当の本人ではないにせよ診療所の医者である大鐘先生が面と向かって言われたのでは気分の良かろうはずはありません。でも大鐘先生が冷静になって考えるに、診療所の医師は公務員なので患者の数が多かろうが少なかろうが報酬は一定している、この医者はたまたま虫の居所が悪くて怒鳴りつけたのかもしれないが、根本のところで患者さんの目線に立つことをせず、どこかおざなりな対応をしてしまったのではないかということでした。その結果、診てもらう必要のある人間も診療所から遠ざかることになってしまったのでしょう。

 公務員の医者がすべて悪い医者であるわけはなく、ここで紹介された医者がたまたまそういう人間だったのだと思いますが、私ならこのおばあさんと同じようにこのような医者にはかかりたくはありません。

 話は変わります。先日、六甲の卒業生でこのたび阪神間で開業したドクターから便りをもらいました。張り切って仕事をされているようですが、その葉書の中で彼は次のようなことを書いてくれました。先日、うちに来た患者さんのお母さんから聞いた話だが、息子の行っている私立高校の保護者の間で、掛りつけの医者の評判の話になったのだが、良い医者だと言われる医者がすべて六甲出身であったことが分かって、それが保護者の間でちょっとした話題になっていたということを聞いてうれしかったとのことでした。

 「良い医者だと言われる医者がすべて六甲出身である」というのは言い過ぎだと思いますが、私は六甲の教育を受けて育った六甲の卒業生を見ていると六甲出身の医者に良い医者が多いということは間違いないと思います。良い医者というのは、正しい診たてができることが第一ですが、それだけでなく不安な気持ちで来る患者の立場に立って話を聞き、患者の不安な気持ちを和らげて信頼が得られるような対応ができる人をいうでしょう。自分本位ではなく相手の気持ちを思いやることができる人間、まさにMan for Othersです。医者は高い能力が要求される職業で、誰でも医者になれるわけではありませんが、人の命にかかわる仕事だけに、まず他の人、つまり患者さんのことを第一に考える人間が携わってほしいものです。もしMan for Othersを体得した六甲生が医者になるのであればそれはそれでとてもうれしいことなので、医学部を目指す生徒はぜひがんばってください。