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校長先生のお話

2010年06月度のお話

2010年06月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2010年06月21日

「慰霊の日」を前に

 明後日の23日は太平洋戦争中の沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日とされている日で、そのことからこの日は「慰霊の日」と定められています。そこで今日は沖縄戦を中心に話をしたいと思います。

 1944年にサイパン島が陥落すると、次の攻撃目標としての沖縄が現実味を帯びてきました。沖縄は日本の本土の最南端で、ここが陥落すると本土防衛の構想が崩れ、また日本と南方の戦線とが分断されることになり、戦略的に重要な場所です。

 1944年10月10日には約1400機の爆撃機が飛来して那覇市を中心に爆撃をおこない、この結果、那覇は市街地の90%が焼失する被害を受けました。10・10空襲と呼ばれます。

 ですがこのときの攻撃はほんの序の口で、45年3月から攻撃は本格化します。米軍は艦船約1500隻、兵士約54万、うち上陸軍18万という史上最大の海軍兵力を集めて、まず26日に沖縄本島の西の慶良間諸島に上陸し、4月1日にいよいよ沖縄本島に上陸を開始します。上陸の前には猛烈な艦砲射撃が加えられます。上陸予定地点の周辺には100㎡あたり25発といわれるほどの大量の砲弾が落とされたそうです。沖縄戦での米軍の砲撃はすさまじく、のちに「鉄の暴風」と呼ばれます。森山良子さんの歌う「サトウキビ畑」には、「あの日、鉄の雨に打たれ、父は死んでいった」という歌詞がありますね。

 こうして悲惨な地上戦がこの後3カ月にわたって展開されます。「悲惨」といったのは、軍部が沖縄防衛を勝ち目のない戦闘を長引かせるだけのいわば捨石作戦としたため、多くの住民が巻き添えにされ、その結果軍隊よりも民間人の被害が大きくなったからで、軍人・軍属も合わせると12万以上の沖縄の住民が亡くなっています。これにマラリヤや飢餓で死んだ人も含めると15万以上になるといわれます。これは当時の沖縄の人口の実に1/4にあたります。

 焼け出された住民は石垣の側や家畜小屋、大きな木の下などに逃げまどいますが、多くの人が避難した場所がガマと呼ばれる巨大な壕でした。沖縄の南部にはたくさんのガマがあり、そこに避難したのですが、日本軍も司令部を破壊されてガマに移ってきます。そのため、軍隊と住民が一緒に住むことになり、そうなると攻撃目標にされますから大変危険なことになります。軍隊は一番良い場所を占有するし、住民の食料を奪うこともあります。さらに、ガマから追い出されるケースもありました。スパイの疑いをかけられて殺害された人もいます。住民を守るのが軍隊のはずなのですが、そうではなかったのです。軍隊のいないガマもありますが、住民たちは、米軍は残虐だという教育を受けていますから降伏せずに自決するグループもありました。

 学生も学徒隊として戦争にかりだされました。中学生以上の男子は鉄血勤皇隊に編入され、通信兵などの仕事に従事する、女子学生はひめゆり学徒隊や瑞泉学徒隊として傷病兵の看護や炊事、あるいは雑用などを命じられます。彼ら(彼女ら)は軍隊と行動を共にしますから犠牲者は大変多かったです。ひめゆり部隊の死者の80%は最後の1週間に集中していますが、これは軍隊から解散命令が出されたからです。解散命令が出たといっても、このころすでに米軍が周囲を包囲していますから、逃げ場がありません。ガマから出て行って命を落とす人もいたし、ガマに残っても攻撃を受けて多くの女学生が戦死しました。

 6月23日、沖縄守備軍の牛島満中将が自決して組織的抵抗は終わりました。しかし、牛島中将は最後まで戦うよう命じて自決しましたから、この後も抵抗は続きます。ですから、沖縄の人は司令官が自決した日を慰霊の日とすることに反対の人もいます。米軍が沖縄作戦の終了を宣言する7月2日が実質的な沖縄戦終了の日と考えることもできます。また、沖縄の軍隊が降伏文書に調印するのが9月7日ですので、正式な終了はこの日ともいえるでしょう。

 沖縄戦は終了しましたが、沖縄はこの後アメリカが占領統治します。沖縄は北に日本列島と朝鮮半島、西に台湾から中国大陸、南に東南アジアをにらむ絶好の位置にあり、『太平洋の要石』と呼ばれます。アメリカはここに基地を建設します。日本における米軍基地の約75%は沖縄にあります。占領支配も長く続き、沖縄が日本に返還されるのは1972年のことになります。

 沖縄に基地があることから様々な事件が起こります。米兵による暴行事件、車によるひき逃げ事件、ジェット機の墜落、落下傘演習の失敗でトレーラーが落下し小学生が圧死など、数えればきりがありません。また、不発弾の処理もまだまだかかります。

 このような問題を沖縄は抱えていることを理解し、沖縄の問題は沖縄県民だけの問題ではなく私たちの問題でもあることを認識したいと思います。6月23日の慰霊の日については新聞やあるいはTVでも報道されると思いますから、ぜひ関心を持って読んでみてください。