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校長先生のお話

2010年02月度のお話

2010年02月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2010年02月01日

強歩大会をがんばろう

 新型インフルエンザの影響で3学期に延期されていた強歩大会がいよいよ4日に行われます。10キロ程度のマラソンなら実施している学校はいくつもありますが、30キロ以上となると実施している学校はそう多くないでしょう。昨年でしたか、電車の中で高校生風の二人連れの男子が六甲の強歩大会のことを話しているのを耳にしたことがあります。

「六甲ってスパルタ教育の学校やろ。」
「そうや。マラソン大会でも40キロぐらい走らせるらしいで。」
「マジか。」
「ああ。そいで、制限時間があって、時間内に帰って来れないと置いて行かれるらしいで。」
「ほんまか、そんなん嫌やな。」

とまあこんな具合で、どこから得たのか、でたらめな情報をもとに話をしているので内心笑ってしまった記憶があります。確かに30数キロという長い距離を走るわけですが、もちろん、六甲の強歩大会は時間内に帰って来なかった生徒を置いてきぼりにするわけではありませんね。先生方やドクターも常に巡回して生徒の健康状態をチェックしてくださり、安全面でも十分気をつけているなかでのマラソン大会です。

 強歩大会は、走るのが苦手な生徒、運動が嫌いな生徒にとっては大変憂鬱な行事であろうと思いますが、多くの生徒にとって30数キロ走るということは六甲を卒業した後はもう経験しないことでしょうから、ぜひがんばってチャレンジしてほしいと思います。

 それに、事情はまったく違いますが、がんばって走っているという点では共通する人間が地球の裏側にいます。これは私の弟から聞いた話ですが、ペルーにはグッバイボーイと呼ばれる少年がいるというのです。マチュピチュという世界遺産があることは知っていますね。ふもとからマチュピチュ遺跡まではバスに乗って行くのですが、帰りにバスがS字カーブをくねくね降りて行くと、カーブ地点に少年が立っていて、バスが来ると観光客に向かって、“グッバーイ!”と言って手を振るのだそうです。観光客も手を振り返す。バスは通り過ぎ、カーブを曲がってまた次のカーブに差し掛かると、不思議なことに先ほどの少年がまたそこにいて、“グッバーイ!”と声をかけるのです。

実は、彼はバスがゆっくり曲がりながら下りてくる間に一直線に坂を駆け下りてバスが来るまでに次のカーブ地点まで先回りをしているわけです。そんなことを何回か繰り返してふもとの駐車場まで降りてくると、そこにはすでにグッバイボーイが来ていて、観光客からちゃっかりとチップをもらうという算段になっているのです。家計を助けるためのアルバイトなわけですが、一人の少年がこれを1日に4回やるそうです。4回も、登って、走り降りるのは大変なことです。

 この少年と六甲の強歩大会とを同列に論ずることはやや強引ではありますが、君たちもグッバイボーイに負けないようにがんばって走ってもらいたいものです。その際、何でもよいから目標を立てて走るというのが励みにもなるし、楽しみにもなります。たとえば、密かにトップを狙っている生徒もいるでしょうし、昨年は4時間以上かかってしまったので今年は4時間を切ろうと考えている生徒もいるでしょう。あるいは、クラブの誰それと順位を競っているというように特定の人物と競争しながら走る生徒がいてもよいでしょう。

 せっかく与えられためったにない自己鍛錬の機会ですから、それぞれベストを尽くしてがんばってください。

2010年02月13日

67期卒業式式辞

 一時(いっとき)暖かくなった陽気もつかの間、再び厳しい寒さが戻ってきた今日この頃ですが、それでも木々にはつぼみがつき、春の訪れが近いことを告げています。

 67期生諸君、君たちは6年前、だぶだぶの制服に身を包み、先輩たちの暖かい拍手に迎えられてこの講堂に入場し、今と同じ最前列の席に座って入学式を経験しました。そして6年の月日が流れた今日、今度は後輩たちの尊敬と親しみに満ちたまなざしに囲まれて卒業式がおこなわれています。
君たちはこの6年間でどのような人間に成長したのでしょうか。

 私が67期の授業を受け持ったのは、君たちの六甲での生活の終盤の時期といえる高2のときでした。教えたのは文系クラスだけでしたが、その文系2クラスの雰囲気のよいことに驚いたことをよく覚えています。人間が数十人集まればそこには様々なタイプが混じるのは当然で、自分と肌の合わない人間、趣味のまったく異なる人間も多いわけですが、67期生はそのような仲間をそのような人間としてまるごと受け入れていたように思います。

 タイプの異なる人間、趣味のまったく違う人間をそのまま自然に受け入れていました。高2になるまでの4年間で、「僕はOK、君もOK」、という人間関係がすでにできあがっていたのでしょう。私は高2の教室に行くのがとても楽しみで、気分よく授業をおこなうことができました。

 67期が主催した文化祭は、自分たちだけで楽しむのではなく、中学生を前面に出させて参加させ、指導力のある、また思いやりのある彩り豊かな文化祭でした。私が特に印象に残ったのは、文化祭終了後、事務室や管財の方など縁の下で助けてくださった方々にもお礼を言いに行っていたことで、事務職員の方々にとってそのような経験は初めてであったようで、驚くと共に大変喜んでいました。他人に感謝することのできる学年だと思いました。

 体育祭が中止になったことは大変なショックだったことと思います。でも、最終的には自暴自棄にならず、仲間が傷ついた友だちを支え合って厳しい現実を受け入れてくれました。ある担任の先生は、67期だからこそ乗り越えることができたとおっしゃっていました。このように67期は、指導力があり、他の人たちを受け入れることができ、また思いやりもあって仲間を支え合うことのできる学年だったように思います。

 今日、君たちは中学・高校時代の完結として、一つの区切りとして卒業を喜んでいることと思います。私はさらに別の意味も込めて、今君たちの卒業を喜んでいます。それはどういうことでしょうか? 

先ほど読まれた聖書の句を思い出してください。旧約聖書のエレミヤの書でしたね。エレミヤが言います。『わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』これに対して主がわたし(エレミヤ)に言います。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。』

 “主がわたしに言われた”、この「わたし」とは君たち67期生のことです。
六甲の6年間で君たちは俗な言い方をするなら、“使い物になる人間”になりました。そのような使い物になる人間を送り出すことは私にとって誇りであるし、うれしいことです。私は君たちの今後の活躍を祈っています。がんばってください。

 最後に、卒業していく67期生にはなむけの言葉を贈りたいと思います。

少し硬い話になりますが、私は学生時代、キリスト教神学を研究するクラブに入っていました。毎年テーマを決めて1年間研究をしていくのですが、ある年の研究テーマになったものが「終末論」でした。「世の終わり」の終末ですね。キリスト教ではいつか世の終わりが来て、人々は最後の審判を受け、正しい人は神の国に入り、邪悪な人間は滅ぼされるという考えがあります。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂に描かれた壁画『最後の審判』に描かれたテーマです。君たちのなかにも、宗教とは関係なく、たとえば太陽が輝きを失って地球が滅びるとか、巨大隕石が地球に激突して地球が滅びるといった可能性を想像する人もいるでしょう。そのような世の終わり、終末を漠然と考えることはある。でも、それは、いつか来るかもしれないが今日明日のことではないと思っているわけです。それはキリスト教信者であっても同じような捉えかたをしている人が多いでしょう。

 ところが、キリストが亡くなった直後成立したキリスト教徒のグループ、これを原始教団といいますが、彼らは世の終わりを遠い先のことではなく、それこそ明日にでも起こる出来事として捉えていたのです。もし世の終わりが明日にでも来るのであれば人はどのような生き方をするでしょうか。いつ終末が来てもいいように心の準備をし、悔いのない生活を送ることを心がけるでしょう。このような生き方を「終末を生きる」と言えばよいでしょう。

 原始教団の人々は、まさに終末を生きる人々だったのです。そして私は、この生き方は人間の生き方として範とすべき生き方だと思います。是非67期の諸君は毎日を無意味に過ごすのではなく、「終末を生きる人間」として充実した毎日を過ごす人間になってほしいと願っています。

 (最後になりましたが、)卒業生の保護者の皆さま、本日はご子息のご卒業おめでとうございます。六中入学後の6年間は、保護者の皆様にとっても山あり谷ありの毎日であったことと推察いたします。しかし、この6年間、ご子息は立派に成長してくれました。「六甲生のプロファイル」に掲げた志向性をもつ若者に成長してくれたように思います。私は皆さまのご子息は、今後どのような分野に進んでも、与えられた場所で地の塩として活躍してくれることと信じております。

 67期生の今後の活躍を祈りながら、また保護者のご家族の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますように祈りつつ、式辞とさせていただきます。