2010年01月度のお話

2010年01月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2010年01月07日

3学期始業式

 3学期を迎えました。3学期は、1月の中学入試に始まり、2月には卒業式や延期されていた強歩大会、あるいは高校1年生の研修旅行など色々な行事があり、ばたばたしているとあっという間に終わってしまいます。何もしないまま終わってしまうことのないように、しっかりと毎日を過ごしてほしいと思います。

 さて、3学期の始まりは新しい1年の始まりでもあります。今年の予測としては、世間では厳しい1年になるという見方が大勢を占めているようですね。先日、私は55期卒業生の同窓会に出席しましたが、その席でのアンケートに「リーマンショックの影響を受けた人」というものがあり、その回答を見ると、約1/4の人が何らかの形で影響を受けていました。厳しい情勢を実感した次第です。でも、そのような厳しい情勢ではありますが、君たちは自分のいくべき道を見つける努力をする、また、道が見つかったら困難を乗り越えてその道を進む勇気をもつ、そのような1年になるとよいと願っています。

 ところで、筑紫哲也さんが書いた『若き友人たちへ』という本の中に書いてあったことですが、アメリカ大統領選は、“hope”と“memory”の戦いといわれるそうです。つまり選挙期間中、与党側は、わが政権はこういうことをやりました、という業績を国民の記憶“memory”に訴える一方、野党は我が党が政権を取ったらこの国はこんなに良くなりますよ、という“hope”に訴えるというわけです。

 この“hope”と“memory”を個人の生き方にあてはめてみることもできます。すなわち、“memory”−これは実績と訳してもよいでしょう−がその人が今まで歩んできた道で、“hope”がこれから歩むべき道を意味します。先ほど言ったように、君たちはこれから進むべき道を決め、目標に向かって希望をもって歩んでほしいと願っています。

 ただ、この道は現在の日本の状況と同様に決して楽な道ではありません。私は「道」という言葉を見ると、思い出す本があります。ポーランドのノーベル文学賞作家シェンキェヴィチが書いた『クオ・ヴァディス』という小説で、映画にもなりました。

 舞台は「暴君」と言われたネロ帝治世下のローマ帝国で、当時はネロによるキリスト教徒迫害の嵐が起こっていました。キリストの一番弟子のペテロは迫害を避けるためにローマを逃れ、アッピア街道を南に下っていました。すると、街道をローマに向かって歩いていく一人の人に出会います。見るとその人はキリストだったのです。ペテロは驚いて尋ねます。

 「主よ、あなたはどこへ行くのですか?」

 この言葉がラテン語で“Quo vadis domine?(クオ・ヴァディス・ドミネ)”で、もともとはヨハネの福音書にでてくる言葉ですが、これが本のタイトルにも使われたわけです。このときキリストはペテロに、「私はもう一度十字架に架かるためにローマに行くのです。」と答えました。あなたに代わってローマの信徒のために殉教する、ということです。これを聞いたペテロは我が身の臆病さに気付き、ローマに取って返し、殉教していったのです。

 イエス・キリストはこのときすでにいませんので、この話は当然フィクションですが、ペテロの心の動きをよく表した場面だと思います。誰でも命は惜しいですから、教会の長という名目で迫害を逃れることを責めることはできませんが、それはペテロにとって主イエスの歩んだ道ではないことに気付きます。苦しい、恐ろしい道ではあるけれど、自分の歩む道はこれなのだ、とペテロは心に決め従容として死地に赴いたのです。

 ペテロの歩んだ道ほどではないにせよ、君たちの歩む道も希望はありますが困難な道でしょう。でも、あえてその道を歩んでいってほしいと思います。六甲学院の校歌の3番は、“道に茨はしげくとも 撓(たゆ)まぬ力培いて 雄々しく強く進むなり”とあります。また、六甲学院讃歌も“輝く道”、“嶮(けわ)しき道”、“厳しき道”、“遥けき道”というように、「道」のオンパレードです。校歌・讃歌の歌詞を一度じっくり味わってみてください。

 最後に大事なことを付け加えておきましょう。

 立花隆さんが、テレビ番組でアマゾンの酋長に「人は何のために生きているのか」と聞いたことがありましが、その問いに対する酋長の答えが、「第一に、人は仲間とともに向上するために生きているのだ。そして第二には、人は死ぬために生きているのだ。」というものだったそうです(上田紀行、『宗教クライシス』より)。

 さすがに、厳しい自然の中で部族を守って生き抜いてきた人物の味わい深い言葉だと思います。

 君たちも、六甲の仲間と共に助け合い、力を合わせながら“hope”の実現に至る道を歩んでほしいと思います。

2010年01月25日

挨拶をしよう

 今日は、今年度折に触れて話をしている挨拶や登下校時のマナーについて、再度話をしようと思います。

 明治時代の劇作家に岡本綺堂という人物がいます。彼が書いている話が、以前読売新聞に載っていたので紹介します。明治の中期ごろですが、綺堂がイギリスの書記官ウィリアム・アストンと神保町を歩いていた時です。道幅が狭く、商店の品々が道をふさいでいて、その雑然とした街並みが体裁悪く、岡本少年は恥ずかしく思ったのですが、アストンは言います。「気にすることはありません、街はいずれ美しくなり、東京は立派な大都市になるでしょう。でも、そのときに」−アストンは続けたといいます。「道を行く人々の顔は果たして今日のように楽しげでしょうか。」

 つまり、明治の日本は街並みはきれいとはいえないが、お互い同士がぶつからないように「肩引き」をしたり、雨のしずくが相手にかからないようにする「傘かしげ」をしたりすることで、思いやりのある、暖かい雰囲気の中で皆が楽しく暮らしていたわけです。反対に、このような相手に対する思いやりを皆が持っていなければ、どんなに街並みがきれいになったとしても人間関係はささくれ立ったぎくしゃくしたものになっていくでしょう。アストンはこのことを言いたかったのでしょう。

 挨拶をするとか、登下校時のマナーに気を配るということは、このことにつながるものです。今年1年を通じて、学校内での挨拶は随分よくなりました。職員室のドアを開けて先生が出るのを待ってくれる生徒も見かけるようになりました。朝だけでなく、昼でも「こんにちは」と挨拶をする生徒もいます。でも、一方でまだ挨拶のできない生徒はいます。また、それ以上に学校外での態度はまだまだ改善の余地があると思います。電車の通路に大きな鞄を置き、通行の邪魔になっているのにそのまま放置している生徒、登下校の通学路を道いっぱいに広がって道行く人の通行の妨げとなっている生徒などです。それらの生徒は意図してそのような他人の迷惑になるような行動を取っているわけではないと思いますが、それではいけません。相手が迷惑していることが分かるような人間にならなければいけません。

 社会生活を営んでいる私たちの暮らしは、ほんの少しの思いやりや気配りを行うだけで随分気持ちのよい毎日が過ごせるのです。六甲は最寄りの駅からの通学路が長い学校なので、登下校で出会う人たちの数は当然多くなります。トラブルも起こる確率が高くなるかもしれませんが、そこは見方を変えて逆の発想をしてみましょう。君たちが気持ちのよい応対をすれば、出会う人たちも気持ち良く1日を過ごすことができるのです。それほど難しいことではないと思います。

 時々外部の方から六甲生に対するお褒めの手紙や電話をもらうことがありますが、内容を見ると「この程度のことで喜んでくださっているのか」と思ってしまうぐらいのささいなことが相手の心に留まっているのです。「迷惑をかけない」という守りの姿勢ではなく、「相手に気持ちのよい1日を送ってもらおう」という積極的な姿勢で挨拶やマナーを遵守してくれるといいと思います。
これも“Man for Others”ですね。