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校長先生のお話

2010年11月度のお話

2010年11月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2010年11月01日

『サラの鍵』(「死者の日」に寄せて)

 第二次世界大戦のころ、ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害し、大量のユダヤ人を虐殺したことは皆も知っていることですが、ドイツに占領された国がユダヤ人迫害に加担していたことは案外知られていないようです。たとえば、フランスでは1942年、フランス警察がパリ在住のユダヤ人13,000人以上を検挙し、最終的にはアウシュヴィッツに送ったことがありました。ユダヤ人は当初ヴェロドローム・ディヴェールと呼ばれる屋内競技場に押し込められ、一週間近く食事も満足に与えられない状態にありました。ヴェロドローム・ディヴェールはフランス人でも舌を噛みそうな言葉だからか、ヴェルディヴと略して呼ばれます。裏でドイツの意向が働いていたとはいえ、このプランを積極的に立案実行していったのは紛れもないフランス警察だったのです。戦後50年経った1995年、フランスはシラク大統領が正式にユダヤ人に対して謝罪しています。50年後に謝罪すること自体は立派なことだと思いますが、人種差別、人種偏見の根深さを感じさせる出来事です。

 さて、「ヴェルディヴ」は歴史的事実ですが、これを題材にして書かれた小説があります。タチアナ・ド・ロネという女性が書いた『サラの鍵』という小説です。語り手はパリ在住のアメリカ人雑誌記者で、彼女がヴェルディヴの取材記事を書くことになり調査を進めていくうちに、一つのユダヤ人家族のことが彼女の関心を引きます。関係者が生存しているらしいということです。こうして物語が展開していきます。

 サラというのはユダヤ人の少女の名で、家族ともどもユダヤ人の一斉検挙でヴェルディヴに連行されます。しかし、このとき弟は行かないと言い張ります。自分はいつもの隠れ場所に隠れているから大丈夫だと言うのです。いつもの隠れ場所というのは、寝室の壁に設けられた納戸で、一見そこに納戸があるとは分からないようになっていて、二人はよくその中に入り込んで遊んでいた場所でした。そこにひそんでおくから、姉さんは鍵をかけてくれ、そして帰り次第開けてくれたらよい、と弟は言うのです。サラは最初ためらうのですが、連行されてもすぐに釈放されるだろう、それなら小さい弟には嫌な思いをさせるよりいつも隠れんぼをして遊んでいる場所に置いておくほうがよいだろうと考え、弟を納戸に入れ鍵をかけたのでした。

でも、先ほど言った通り、これはすぐに釈放されるような拘束ではなかったのです。何日もヴェルディヴに軟禁された後、アウシュヴィッツに送られていく運命にあったわけです。いたずらに日にちが経ち、納戸に残した弟のことを心配してサラは必死です。隙を狙って脱出を試み、何とか逃げ出すことに成功しますが、何日もたって戻ってきた時はすでに遅く、弟は亡くなっていました。

 サラはその後、親切なフランス人の老夫婦に引き取られて成長し、アメリカに渡り結婚をして子どもももうけますが、サラの心はいつも弟のことで一杯でした。あの時自分が鍵をかけなければこんなひどいことにはならなかったはずだ、もう弟と遊ぶこともできないし、笑い声も聞けない、楽しい人生を送れたはずの弟を殺してしまったのは自分だ、取り返しのつかないことをしたという自責の念にかられます。あのときは一刻を争う時間の中で最善の策と判断してやったことだし、弟も一緒に連れて行かれたら二人ともおそらく生きては帰れなかったわけで、ですからサラのせいではないのですが、サラは弟の死を深い心の傷として一生背負って生き、結局そのことが原因で亡くなっていくのです。

 この話はフィクションですが、サラの心の痛みは私はよく理解できます。一人の人間の死、あるいは生はこれほどまでに重いのだということだと思います。先日、神戸ではなはだ短絡的な理由で仲間とともに人を殺す凄惨な事件が起きましたが、人の命の重さをなんとも思っていないような事件が起こるとやりきれない気分になります。

 さて、明日の11月2日はカトリック教会では「死者の日」と定められている日です。この1年だけでも何人もの六甲関係者が亡くなっています。これら亡くなられた方々について思いを馳せ、追悼したいと思います。と同時に、「死者の日」は一方では生者の日でもあると私は思っています。生と死は表裏一体だからです。ですからこの日は、人の死を考えるとともに、人の生、命について、その尊さあるいは生きる意味を考える日でもあるわけです。小説のなかでサラが自分の弟の死と一生向き合って生きたように、君たちも「死者の日」を機会に、人の生と死の尊さとその意味にについてぜひ考えてみてください。

2010年11月08日

異色の公務員

 私は普段あまりテレビを見ませんが、先週の日曜日の夜、ふと目にとまった番組があり、それが面白くて珍しく最後まで見てしまいました。それは、テレビ大阪で放送していた 『ソロモン流』という番組でした。

 この日紹介された人物は上田勝彦さんといって、水産庁の加工流通課に勤務する公務員です。公務員というとお固いイメージを受けますが、上田さんはノーネクタイで首にはてぬぐいを巻き、ひげを生やし、頭は刈り上げ、お役人というよりは魚市場のおじさんといった風情です。

 加工流通課というのは、漁業とその流通に関わる分野を担当する部門で、漁業従事者の高齢化や後継者不足、魚価の低迷など、漁業が抱えている様々な問題に対して加工流通の側面から取り組んでいく課です。具体的な仕事内容については番組の中ではあまり紹介されていませんでしたが、漁業には乱獲の問題が一面にあり、乱獲を抑えるための方策として魚網の目を大きくして稚魚を捕獲しにくくするような工夫を行政指導でおこなうという点については、なるほどと思ったものでした。

 上田さんが他の公務員と一味違うところは、このようなお役所からの(上からの)指導だけではなく、現場に出ていって、魚食を広める活動を精力的にしている点です。たとえば、北海道の宗谷ではおいしい鮭が獲れるのですが、巨大市場の東京に持っていくまでに時間がかかり、そのために鮮度が落ちるので買いたたかれてしまうそうです。そこで上田さんは、業者に高値で買い取ってもらうためと消費者に鮭のおいしさを理解してもらうために、宗谷まで出向き、鮮度を保ったまま出荷できるよう自分で考案した活け締めのやり方を漁師に教えるのです。また、料理教室に招かれ、魚をおいしく食べる料理法を教えます。さらに、ライブバーでは4時間にわたるトークライブをおこなって漁業が抱えている問題や魚の美味しさをアピールすることもやります。魚市場ではゴム長靴を履いて買い物客に魚製品の食べ方の解説もします。これらすべてがボランティア活動というから驚きです。

 現場の様子を知り、現場の声を聞いて、常にその目線で仕事をする、上田さんはそういう方です。このような目線は上田さんの経歴とも大いに関係しています。上田さんは長崎大学水産学部を卒業した後、3年ほど漁師をしていたそうです。そしてその時に、「大学を出ているなら俺たち現場の声を上に伝えてくれ」という仲間の励ましを受けて公務員試験を受けて合格し、農水省の水産庁へ入庁したわけです。産業に携わる人たちを行政指導する立場にいながら、漁師や魚市場の人といった行政指導されるいわば弱者といえる人の立場や思いを代弁し、その目線で常に仕事をしている上田さんは、ご本人は思ってもいないことだと思いますが、まさに“MAN FOR OTHERS”の精神を体現している方だと思います。

 “MAN FOR OTHERS”は「社会奉仕」のようなそれと分かる活動をすることだけがあてはまるわけではありません。一見関係なさそうに見える仕事でも“MAN FOR OTHERS”の精神を活かすことはできます。君たちは六甲を卒業して大学に進んだ後様々な職業につくことになりますが、どのような職業につくにせよ、“MAN FOR OTHERS”の精神を忘れず、上田さんと同じように弱者の立場に立って仕事ができる人間になってほしいと願っています。このような立場で仕事をする人間がもっと多くなれば社会はきっと良くなることでしょう。