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校長先生のお話

2012年07月度のお話

2012年07月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2012年07月20日

1学期終業式

 1学期が今日で終わります。学期の終わりにあたって、先ほど教頭先生が読まれた宗教部からのメッセージにもあった振り返りについて話をしたいと思います。

 ラグビーで神戸製鋼を日本一にしたキャプテンで日本代表監督にもなった平尾誠二さんという人がいます。平尾さんほどの名選手でも自信と不安の間で常に葛藤があったといいます。そんなとき、平尾さんは立ち止まって考えることで自分自身を客観視するようにしたと言っています。つまり、振り返ったということです。振り返り、自分自身を客観的に見ることで弱点をカバーしていったわけです。

 昨年の1学期の終業式は覚えていますか。昨年は警報が発令されて終業式自体がなくなってしまいました。1年前を思い返すと、けじめをつけさせることのないまま夏休みが始まってしまったように思います。終業式が流れてしまうと、節目、区切りとしての式は大事なものだったのだと痛感しました。1学期は新しい学年の始まりでもあり、また体育祭という大きな行事もあり、忙しくも大事な学期でした。そのような学期の終わりをきっちり終える節目を作ることはとても大事なことです。

 さて、君たちが1学期を振り返って見るとき、私が始業式の時に話した今年度の目標についても振り返って見てほしいと思います。

 二つのことを目標に挙げました。一つは、「授業を大切にする」ということ。これは昨年からの目標になります。ひところに比べると授業に向かう姿勢は改善されてきました。また、授業が大切という意識も定着してきているように思います。ですが、先生方から話を聞くと、まだまだ意識の低い生徒がいるようです。授業によっては騒がしいクラスもあるように聞いています。各自振り返ってみてください。

 二つ目の目標は、「積極的かつ主体的に物事に関わる」ということでした。これについては、中学1年生は始業式の話を聞いていないので初めて聞く話になりますが、中2以上の生徒は始業式の話を覚えていると思います。主体的に関わることが民主主義の発達に大いに関係しているということをアメリカのベースボール発祥の由来を紹介して話をしました。民主主義の発達への貢献もさることながら、人間的成長にも大きく関わることなので、ぜひ積極的かつ主体的に関わる1年であってほしいという話をしました。

 この点については、どうですか。積極的に関わったということでは、たとえば体育祭はがんばったと評価する生徒は多いでしょう。確かに多くの生徒が前向きに取り組んでくれたと思います。

 ここで本論から少し逸れますが、今年は六甲の体育祭がテレビで紹介されたので、そのことについて触れておきます。体育祭がテレビで放送された後、私の知り合いから何通もメールが来ました。すべての人が、とてもよかった、感動したという感想を書いてくれていました。その中の一つに、東京で放送作家として働いている友達からのメールがありました。放送作家というのはラジオやテレビの番組の企画や構成を担当する作家のことをいいます。その友達は朝のワイド番組を担当したこともあり、放送される番組の内容については厳しい批評眼を持っていますが、その友達が「感動した」と書いてきたのです。

 で、「これは褒めているのだが」と断ったうえで、「昭和の絶滅危惧種」を見た感じだと書いていました。質実剛健の男子校も時代遅れで珍しいけれど、その時代遅れがいいね、とも書いていました。先生が登場しなかったのもいいとのことです。「高3の1メートル80位のと、中1の140センチが共存しているところがいいね。学校自体が社会なんだな。社会のルールを、学校で学ぶ。上下関係、礼儀、気遣い、思いやり、痛さ、疼き、恥じらいなどなど。」と記していました。

 おそらく彼が書いてきたこれらの内容がテレビを見た人の大多数の感想を代弁したものではないかと思います。体育祭は六甲がおこなっている教育の一部でしかないとはいえ、利害関係のない人たちからこれだけ評価されたことは、他に君たちがやっていることについてもそれが紹介された場合にはおそらく高い評価を得ることと思います。他の活動についても自信と誇りを持って取り組んでください。

 話を戻します。私は比較的最近知ったことですが、イエズス会の会員の間ではイエズス会の教育の特徴を表す表現としてHolisticという言葉を使うことがあります。
Holisticという言葉は聞きなれない言葉だと思います。ギリシア語で「全体性」を意味する「Holos」を語源としています。

 つまり、部分々々を独立させて機能を持たせるのではなく、部分が有機的なつながりを持った全体としてものごとをとらえるべきであるというようなことを言いたいときにHolisticという言葉を使います。簡単にいえば「全人的」ということです。ある部分だけ秀でていればあとはいい加減であってよいというのではない物の見方です。

 確かに、イエズス会の教育はHolisticであることを大事にする教育であるといえます。

 体育祭に戻りますが、体育祭はがんばった。ただ、体育祭はテレビカメラも回っており、千人を超す観客も見ているわけで、当然張り切る、がんばるわけです。それはそれとして評価できますが、Holisticな人間という観点からすればそのような華やかな場面だけでなく、地味な場面でも前向きに取り組めたかどうかを問いたいところです。

 たとえば、学校生活においては便所掃除や教室の掃除は手を抜かずがんばったのか、勉強は前向きに取り組んだのか、学校の行き帰りのマナーは正しく守れたのか、あるいは先程の宗教部のメッセージにあるような他の人びとへの関心、周りの人間への誠実さなどはどうであったのか、などです。

 Holisticな人間という観点からそういったすべてのことに対して積極的主体的に関われたかどうかを振り返ってみると有意義な振り返りになります。

 なお、今年度私が提示した二つの目標は、云うまでもないですが無関係に独立したものではありません。「授業を大切にして知性を磨く」ということは、「積極的かつ主体的に物事に取り組む」ということと大いに関係があります。

 以前にも紹介した脳神経外科の林成之先生の受け売りですが、視覚中枢に情報が行くと、それを理解する前に頭の奥深いところに感情を生み出す、つまり物事に興味を持つための核であるA10神経群を通ります。A10神経群で興味を持った情報は前頭前野という頭の前の部分で強く認識される情報になる。つまり積極的に興味を持った情報ほど理解力は高まるわけです。好きな教科の内容はすんなり頭に入るのに、嫌いな教科についてはなかなか理解できないのはこの理屈です。

 勉強も厭々やるのではなく、自分から進んで取り組んでいくと理解力は格段に高まります。参考にしてほしいと思います。

 以上、1学期の終わりにあたってよい振り返りをしてほしいのでこのような話をしました。

 最後になりますが、高校3年生は六甲生活の完結に向かってこの夏休み、勉強がんばるように。君たちの志望する大学に合格するに至るまでにまだ距離があると思いますが、先生のアドバイスに従って計画を立て、それをやり抜くことでその距離を縮めるよう努力してください。5年間活発に活動し成果を収めてきたそのパワーをこれからは勉強に注ぎ込んで、良い結果を出してください。後輩も応援しています。

 高2以下の生徒については、明日からの夏休み、学期中にはできなかったことに取り組んでみるなど充実した夏休みを過ごし、元気に2学期を迎えることができるようにしてください