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校長先生のお話

2012年02月度のお話

2012年02月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2012年02月11日

69期卒業式式辞

 厳しい寒波が断続的に襲ってくる今日この頃ですが、それでも我が家の庭の雪柳には花芽がたくさんつき、春の近いことを知らせてくれています。 そのような春の便りが聞かれる今日、69期生の卒業式を迎えることとなりました。

 一昨日、出来上がったばかりの69期の卒業アルバムを見ましたが、そこには6年前の入学式で緊張しながら入場してくる69期生の初々しい姿が写っていました。 今日の少し照れながらも落ち着いた表情を浮かべて入ってきた君たちをそこに重ねて見ると、そこに6年の時の流れと君たちの成長の跡を見るような気がしました。

 69期のみなさん、卒業おめでとう。今日で君たちの六甲での6年間の生活が完結します。

 69期の六甲生活を振りかえってみると、後半の時期、つまり高校生になってからの3年間は六甲にとって激動の時期でした。 君たちが高校1年の時には新型インフルエンザの影響で学校が閉鎖となり、その年の体育祭が中止となりました。 高校2年になると新校舎建設のための工事が始まり、創立以来の旧校舎が解体され、9月から仮設校舎での生活が始まりました。 新しく始まった仮設校舎での生活は、これまで習慣的に行っていたことがそのままでは通用しなくなり、新規に対応しなければならないことが多々起こりました。 校舎を全面的に使っておこなう文化祭はどうすればよいのか、掃除はどう割り当てればよいのか、グランドが1面使えなくなったためクラブ活動はどうすればよいのか、中間体操はどうやって実施するか、体育祭の行進練習はどのように進めるかなどです。 これらの変化に加え、君たちが高3に進級した今年度から6日制が実施されることとなり、1週間の生活パターンを大きく変えてもらわなければならなくなりました。

このように、体育祭中止を経験し、学び舎は不便な仮設校舎となり、生活パターンの変化も余儀なくされたのが高校時代の3年間でした。 指導学年となってからは、従来のノウハウが活かせない不利な条件の下で下級生を指導しなければならなくなり、これは大きな負担だったと思います。 特に文化祭や体育祭の成功の行方はそれらを実行する69期の双肩にかかってきたのですからなおさらのことだったでしょう。

しかし、今列挙した不便や不利な条件について、君たちからは、「6日制で疲れがたまる」と言われたことを除けば、不平や不満を聞いたことは一度もありませんでした。 少なくとも私の耳には入ってきませんでした。 君たちは与えられた条件のもとでどうすれば最善を尽くすことができるか、それのみを考えて行動してくれました。 六甲の伝統を絶やさないため、下級生のために懸命にがんばってくれました。 うまくいったこともあれば、あまりうまくいかなかったこともあったと思いますが、結果が問題ではありません。 自分たちが楽しむためだけでなく、六甲のために、下級生のために皆で協力し合って物事に対処していってくれたことが大事です。 そのような他者のことを考えて行動する姿勢は人間を大きく成長させます。 69期生は私が一緒に行った沖縄の研修旅行の時よりも文化祭の時の方が学年のまとまりができていました。 そして文化祭の時よりも体育祭を行った時の方がさらにまとまりがよくなっていました。

 そしてこのような成長の流れの中で起こった出来事が東日本大震災でした。 東北地方で起こった震災は直接我々に影響を与えたわけではありませんが、この大災害は他人の痛みを自分のものとして受け止めることができるかどうかという問いかけを私たち一人一人に投げかけてきました。 この問いかけに六甲生はよく応えてくれました。 募金活動を始め、体育祭では一般の観客の方々にも呼び掛けて被災地支援の寄せ書きを書きました。 また、遠く関西に住んでいるため被災地支援に行けない我々ができることは何かということを関西のカトリック学校の高校生と共に考える集まりも持ち、この集まりの中心となって動いてくれました。 そして、これは下級生がおこなったことですが、高2・高1は夏に東北までボランティアに行きました。 クリスマスには山浦さんを招いて講演を聴き、この春には東北巡礼も行われます。 69期が直接参加できない企画もありましたが、これら一連の動きの中心に最高学年である69期の存在があったことは紛れもない事実です。

「人」を意味する英語にpersonという言葉があります。 このpersonの語源をたどるとそこには深い意味が隠されていることに気が付きます。 personはラテン語のpersonaという言葉から来ているのですが、このpersonaのsonaはsonareという言葉から派生した言葉で、sonareには「鳴り響く」、「反響する」、「共鳴する」という意味があります。 つまり、personには、人と人とが共鳴し合ってはじめて本物の人間になるのだ、という意味が込められているわけです。 皆で協力し合い、一丸となってことにあたった69期生、震災の被害を自分のこととして受け止めることのできた69期生は、友だち同士、先輩後輩同士、あるいは生徒と教師とで共鳴し合うことのできた学年だったと思います。

 ところで、日本にキリスト教を伝えた人物はイエズス会士フランシスコ・ザビエルでした。 ザビエルは、自分の信じた神の国についての教えと、「私は仕えられるためではなく仕えるために来た」というイエスの生き方を伝えるために命の危険をも顧みず何千キロもの波濤を越えて日本にやってきました。 そして辿り着いたこの地でザビエルが見たものは、貧しさを恥じず、聡明でかつ探究心の強い日本人の姿でした。 このような日本人の気質に感銘を受けたザビエルは、日本での布教の許可を得るため瀬戸内海を経由して堺の港まで行き、京都に上りました。 六甲学院からは大阪湾が一望できますが、六甲が見える茅渟の海のどこかをザビエルは通ったはずです。 この海を渡りながらザビエルは船上から美しい六甲の山並みを見たことでしょう。 そのときザビエルは何を思ったのでしょうか。 「この聡明で探究心の強い人々に自分の信じたよいものを広める許可がいよいよもらえる」と思い、武者震いの一つもしたのではないでしょうか。 私はそのように思います。 結局布教の許可はもらえませんでしたが、69期生の6年間を振り返ってみると、「仕えられるためではなく仕えるために生きる人間」というザビエルのまいた種は確実にこの伯母野山で花開いているように思います。 私は空気の澄んだ天気の良い日には紀伊半島まで見渡せるきれいな景色を見るとき、時折ザビエルの温かい眼差しが私たちの上に注がれているのを感じます。

 仲間同士共鳴し合うことでよき人間に成長し、他の人びとに仕える姿勢を持つことのできた69期生178名が今伯母野山から巣立っていきます。 卒業後は、大学、あるいは社会で新たな人間関係の中で共鳴していってください。 そして“for others”に生きる人間として、3学期始業式に話をしたように、無縁社会ではなく支援社会を築くために大いに活躍してください。

最後になりましたが、卒業生の保護者の皆さま、本日はご子息のご卒業、おめでとうございます。 私はこれからの日本には、未来を信じ、自分で物事を判断でき、他の人間のために働く気概を持って生きる元気な若者が必要であると思っています。 六甲で学んだご子息がそのような若者として社会に出てから存分に活躍してくれることを心から願っております。

卒業生とその保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますように、また69期卒業生がこれから歩む遠く遥かな道を神様の光がいつまでも照らしてくださることを祈りながら式辞を終えさせていただきます。