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校長先生のお話

2009年10月度のお話

2009年10月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2009年10月22日

百聞は一見に如かず?

 2学期の始業式の時に「共感」について話をしましたね。
体験することは大事なことです。しかし、実際に体験したとしてもそれが物事の本来の姿、あるいは真実を語っていない場合もあるのです。

 これは私自身の経験ですが、今年の夏、家族で高知県の四万十川に行ってきました。水がきれいな川として知られていますよね。日本最後の清流、と宣伝されたりもしています。私たちはまず最初に四万十川の源流地点に行ってみました。自動車が一台通るのが精いっぱいの道をかなり上って、最後は渓流に沿って山登りをして源流地点の標識のあるところまでたどりついたのですが、どうみても水はもっと上から流れてきています。「源流地点」の定義は、「水が湧き出ている場所」のような一見して分かるような状態をいうのではないのかもしれませんね。

 その後、四万十川を見ながら一気に下流域まで移動し、四万十川流域にある水車や欄干のない橋(沈下橋)など風情のある風景を楽しみましたが、それらを楽しみながらも自分の中では何か変だという違和感が旅の間中ありました。それは、やがてはっきり意識するようになっていったのですが、何かというと、「四万十川がきれいではない」ということなのです。私にとって四万十川は、「水底まで見えるほど透明感のあるきれいな川」というイメージがあったのですが、私たちの見た四万十川はごく普通の川で、川岸にはペットボトルが流れ着いたりしていて、「最後の清流」と言われる川のイメージからはほど遠いもので、少々失望しました。後で分かったことですが、実は家内もこのとき同じことを感じていたようで、しかしお互いにこのことについては触れてはならないタブーのように思って黙っていたのでした。

 翌日は河口付近を遊覧する遊覧船に乗りました。案内役の船頭さんの解説を聞きながら水量が豊かでゆっくり流れる四万十川の景色を楽しんだわけですが、遊覧の最後のころになって、船頭さんは水の濁りについて話をしてくれました。今、お客さんたちが見ている四万十川の水はあまりきれいではないが、これは、実は先日の台風9号の影響で降った大雨によって上流から土砂が流れてきて川が濁ってしまったことが原因で、あと4,5日もすればもとの透明度の高い川に戻るのだが、それを見せることができなくて大変残念だ、といった内容でした。この説明を聞いたときに、ああ、そうだったのか、それであまりきれいではなかったのか、と納得した半面、澄みとおった本当の四万十川を見たかったという気持ちも入り混じる複雑な思いをしたのを覚えています。

 普段流れている四万十川はきれいな川ですが、我々が見たときは大雨の影響で濁りが激しい状態であったわけです。しかし、そのときに初めて四万十川を見た人間にとってはこれが四万十川の本来の姿であると勘違いしてしまいます。このように、実際の経験が実は本当の姿を示していない場合もあります。

 体験することは大事なことですが、それを他の人からの情報、あるいは書物からの知識、さらにメディアからの情報などによって肉付け、修正をすることも合わせて大事なことだということを知っておいてほしいと思います。