文化祭をがんばろう
文化祭準備が始まりましたね。6月実施予定の体育祭がインフルエンザの影響で中止になったので、生徒が主体となって作り上げる大きな行事としては1年ぶりのことになります。皆も随分張り切って準備に取り掛かってくれていることと思います。
体育祭と文化祭はどちらも生徒が企画運営実施していく行事ですが、二つの行事の性格はずいぶん異なります。体育祭は基本的にはフィールドで全校生が集まって委員長の指令の下で一斉に動いて一つのものを作り上げていく、いわばピラミッド型の行事です(警備や救護など別行動をとるのはごく少数の役員だけ)。練習を見ている方も、今年の準備は順調だとか、仕上がりが遅いとか一目瞭然です。
これに対し、文化祭は準備の場所はばらばら(講堂、部室、教室、あるいは外部)で仕上がり状況、まとまり具合など全体像が分かりにくい行事です。当日の催しも色々な場所で同時進行するので、文化祭行事をすべて見ることは、生徒はもちろん、教師もお客さまも誰にもできません。このような文化祭を成功させるためには、体育祭とは異なる手腕が必要です。委員長は号令一下全体を動かすのではなく、各部署の動きを把握して個別にも的確な指示を出す形でまとめていく能力が必要です。
また、各部署の責任者は自分のパートをしっかりまとめ、指導していかなければなりません。そして、何よりもそこで活動しているメンバーは指示されるまま動くのではなく、役割を理解し自分なりに努力していく必要があります。全体が見えない中で一致協力して動くことは大変むずかしいことですが、それを克服しなければ文化祭は成功しません。
私はこれを克服するポイントのひとつがテーマへの共通認識であろうと思います。「轍(わだち)」は、車輪の跡を示す漢字で、つまりこれまでの六甲の文化祭の歩み、68期生の成長の跡を今回の文化祭で示す意味を込めたものでしょうが、「轍」の意味はそれだけではないと思います。つまり、今までの足跡だけでなく、今後どのような方向に向かうのかも示唆してくれるものでもあります。仮設校舎から新校舎に移っていく六甲の文化祭は今後どのように成長していくのか、その指標となる文化祭であってくれればうれしいと思います。「轍」の持つ意味を皆が理解する中で、がんばって良い文化祭を作ってください。