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校長先生のお話

2009年09月度のお話

2009年09月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2009年09月03日

文化祭をがんばろう

 文化祭準備が始まりましたね。6月実施予定の体育祭がインフルエンザの影響で中止になったので、生徒が主体となって作り上げる大きな行事としては1年ぶりのことになります。皆も随分張り切って準備に取り掛かってくれていることと思います。

 体育祭と文化祭はどちらも生徒が企画運営実施していく行事ですが、二つの行事の性格はずいぶん異なります。体育祭は基本的にはフィールドで全校生が集まって委員長の指令の下で一斉に動いて一つのものを作り上げていく、いわばピラミッド型の行事です(警備や救護など別行動をとるのはごく少数の役員だけ)。練習を見ている方も、今年の準備は順調だとか、仕上がりが遅いとか一目瞭然です。

 これに対し、文化祭は準備の場所はばらばら(講堂、部室、教室、あるいは外部)で仕上がり状況、まとまり具合など全体像が分かりにくい行事です。当日の催しも色々な場所で同時進行するので、文化祭行事をすべて見ることは、生徒はもちろん、教師もお客さまも誰にもできません。このような文化祭を成功させるためには、体育祭とは異なる手腕が必要です。委員長は号令一下全体を動かすのではなく、各部署の動きを把握して個別にも的確な指示を出す形でまとめていく能力が必要です。

 また、各部署の責任者は自分のパートをしっかりまとめ、指導していかなければなりません。そして、何よりもそこで活動しているメンバーは指示されるまま動くのではなく、役割を理解し自分なりに努力していく必要があります。全体が見えない中で一致協力して動くことは大変むずかしいことですが、それを克服しなければ文化祭は成功しません。

 私はこれを克服するポイントのひとつがテーマへの共通認識であろうと思います。「轍(わだち)」は、車輪の跡を示す漢字で、つまりこれまでの六甲の文化祭の歩み、68期生の成長の跡を今回の文化祭で示す意味を込めたものでしょうが、「轍」の意味はそれだけではないと思います。つまり、今までの足跡だけでなく、今後どのような方向に向かうのかも示唆してくれるものでもあります。仮設校舎から新校舎に移っていく六甲の文化祭は今後どのように成長していくのか、その指標となる文化祭であってくれればうれしいと思います。「轍」の持つ意味を皆が理解する中で、がんばって良い文化祭を作ってください。

2009年09月07日

スポーツの秋をがんばろう

 高校と中学の総体は終わりましたが、秋は秋季大会や新人戦がありますね。私はスポーツをほとんどしない人間で、また最近はTVのスポーツ中継もあまり見ませんが、先日久しぶりでマラソンを見ました。マラソンはただ走るだけの単調なスポーツのように見えますガ、見ていると実は駆け引きがあって大変面白い競技です。ちょっとスパートしただけに見えるのに、それまでついてきていた選手がみるみるうちに引き離されていくことがよくあります。これには体力の限界も当然あるでしょうが、それ以上にどうやら脳の働きが関係しているらしいですね。

 1学期にも紹介した脳神経科の林成之先生がオリンピック強化合宿で強化選手に対して指導をした内容がNHKの番組で紹介されていました。ご自身の講演でも話をされていることですが、たとえば水泳の北島康介選手を例にとると、北島選手は最後のターンをしてからゴールまでの最後で失速する傾向が当時あったらしいです。これは林先生によると、もうゴールだと思うと脳の自己報酬神経群がもう終わったと判断して、その結果血流が高まらなくなることが原因だそうです。だから、ゴールはまだ先だと言い聞かせることで運動能力を落とさないようにすることが大事だとアドバイスをしたそうです。その結果は、皆も知ってのとおり、北島選手は北京オリンピックで金メダルを取ることができました。

 これは自分の経験に照らしても正しいということが分かります。私は毎年夏場になると、山のキャンプの引率に備えて近くの山に登ります。頂上手前に長い階段があって、結構しんどいのですが、そのとき私はいつも上を見ずに登り、明らかに半分を過ぎたと思える距離に来てもまだ1/3しか登っていないと自分に言い聞かせるようにしています。そうすると最後までペースを落とさずに登ることができます。

 マラソンも同様です。追い上げてきた相手が追い付き、これで勝負になると思ったタイミングをはかってスパートする。追いついた、と思ったときに自己報酬神経群が働くので、ここでスパートされて再び抜き去られると、もうだめだという指令が脳にいき、スパートについていけなくなるわけです。マラソンに見られる駆け引きにも脳の働きで合理的に説明できるのですね。

 もちろん自己報酬神経群の働きは勝負に関係する多くの要素の一つであって、これが働いたから勝てるというものではありません。ですから、要はただ黙々と練習をしてテクニックを上達させるだけでなく、練習以外でも、今あげた脳の働きの活用や、緊張を和らげる工夫、あるいはイメージトレーニングなどをおこなって自分のもてる力を最大に発揮してがんばってほしいと思います。

 最後に一言付け加えると、運動することで脳内の有酸素運動が活発になってより多くの酸素が脳細胞に供給されれば認知能力も高まることが知られています。つまり学習にも効果があるわけです。運動は学習にもよい効果を与えるということも知っておいてください。

2009年09月24日

新しい文化を創造する

 最近、ビートルズの全アルバムが最新のデジタル・サウンドでリミックスされ、新たにCD化されて発売されました。全14アルバムがすべてアルバムヒットチャート100位以内にランクインしたと新聞で報道されていました。ビートルズの人気はいまだに根強いものがあります。ビートルズの現役活動時期と私の中学・高校時代とは完全に重なるので、私もビートルズに対する思い入れは大変強いものがあります。

 さてそのビートルズに対する評価ですが、40年以上も経過すると当時の熱狂ぶりから一歩引いて、冷静にビートルズを評価しようとする傾向が出てきています。これ自体は大変結構なことで正当な評価がなされるとよいと思います。ただ、ビートルズの音楽がそれ以前のR&Bやプレスリーなどに代表されるロックンロールから影響を受けていたことや、当時からビートルズ以上のテクニック持っていたグループもいたことなどをことさらに強調して、ビートルズの革新性をあまり評価せず、音楽史の連続性のなかの1つのグループとしてしか評価しない論評も見受けられるのですが、これはどうでしょうか。

 話はクラシック音楽の世界に飛びます。クラシック音楽発展の流れを見ると、たくさんの作曲家や演奏家たちが西洋音楽の黎明期からさまざまな工夫、苦労を重ねて、表現力を高め、聴く人に訴えかける音楽を作りあげてきました。たとえば、華やかな感じを表現するときには装飾音符を多用したり、出したい音の上下の音を往復させるターンと呼ばれる技法を使ったりします。また、気持ちが高揚してくる時の気分は上昇音階を使う、逆に沈んだ時の気持ちを表現するときは下降音階を使うなどですね。また、協奏曲は3楽章で作り、交響曲は4楽章で作るなど、演奏上の形式も定まってきます。こうして一つの技法・形式が確立すると、その規則に従って作曲をすれば一定の見栄えのする曲ができるようになります。

 しかし、やがて今までの形式では自分の表現したい音楽が作れないと感じ、従来の手法に飽き足らなく思う作曲家が出てきます。そういった作曲家は、従来の枠を尊重しつつも様々な工夫をこらして自分の表現したい音楽を作り上げようとします。たとえば、これはレナード・バーンスタインがTV番組で話していたことですが、ベートーヴェンは従来の交響曲の形式を踏襲しつつも、楽譜の冒頭に、緩やかなスピードの楽章を早めに演奏するよう指示を与えることで従来と異なる曲調の音楽を作り上げたそうです。簡単なことのように思えますが、当時の人にとっては大胆な試みだったのですね。このように、一旦伝統的な手法に手が加えられるとそこからの変化は容易で、新しい試みが色々出され、新しい形式の音楽が出来上がっていくわけです。

 ビートルズもそのようなグループだったと思います。たとえば、前奏なしで最初から歌が始まる曲はそれまでにもないことはなかったですが、いきなり絶叫に近い声で始まる曲はありませんでした。また、ドラムはリズム楽器ですから、それまでは歌を妨げないようにバックビートで打つのが普通でしたが、ビートルズは今から聞けばおとなしい感じではありますが、頭打ちのビートを取り入れてドラムをアピールさせるなど、今までにない雰囲気の音楽を演奏して、当時の若者に強烈にアピールしたのです。それまでの音楽の影響を受けているとはいえ、やはりビートルズは偉大なグループでした。

 さて、君たちですが、文化祭が終わりましたね。去年もよかったですが、今年も大変よい文化祭だったと思います。では、来年はどうでしょうか。これまでの文化祭に満足であればそれを踏襲すればよいと思いますが、もし自分たちのやりたいことが別にあるのであれば、がんばって新しい企画を作っていくとよいでしょう。期待しています。

2009年09月28日

希望を失わず、成長しよう

 昨年の朝礼で1954年の洞爺丸台風襲来時に出港を見合わせた羊締丸の船長の話をしたのは覚えていると思います。本日の朝礼も洞爺丸台風にからむ話です。

 9月26日付の読売新聞に出ていた話ですが、洞爺丸台風の大風で北海道積丹半島の南側の岩内町では大火に見舞われました。洞爺丸の遭難事件の陰に隠れて大きくは報道されませんでしたが、消失面積では戦後3番目、死者数では戦後最悪の大火だったとのことでした。

 この岩内町に住んでいた画家に木田金次郎という人がいました。私は写真でしかこの人の絵を見たことがありませんが、個性的でなかなか魅力のある絵という印象があります。ところが、このときの大火によって金次郎が描きためた絵画1500~1600枚のほとんどが焼失してしまいます。金次郎は焼け跡に茫然とへたり込みました。それもそうですね。自分のそれまで生きてきたあかしともいえるおびただしい枚数の画が一瞬にしてなくなってしまったのですから。

 このような時、人間はどのような行動を取るでしょうか。絶望して魂の抜け殻になり、後は消化試合ならぬ消化人生を送るでしょうか。それともわが身の不運を嘆き、神を恨むでしょうか。

 話は変わりますが、20世紀のユダヤ系哲学者にレヴィナスという学者がいます。ナチスによるホロコーストのあとで、絶望した同胞のユダヤ人たちの中には信仰を捨てるものも出たのですが、レヴィナスは彼らに向かって言います。「あなたがたは善行を行えば報奨を与え、悪行を行えば懲罰を下す、そのような単純な神を信じていたのか。だとしたら、あなたがたは「幼児の神」を戴いていたことになる。だが、「成人の神」はそのようなものではない。「成人の神」は人間が行った不正は人間の手で正さなければならないと考えるような人間の成熟をこそ求める神だからである。」

 レヴィナスは絶望のどん底にあっても神を恨むのではなく、自分たちで道を切り開いていくべきことを同胞に訴えたのでした。

 ひるがえって、木田金次郎はその後、絶望の底から立ち上がり、死までの8年間でそれまで描いていなかった生涯の代表作を描くようになりました。写真で見る彼の絵は、消失以後のものはそれまでとは異なり、西欧近代画の様式に捉われない荒々しい、しかし力強く訴えかける絵になっています。

 哲学者レヴィナスは、どのような絶望的な状況におかれても神を恨むのではなく、神に祈りながら自分の手で問題の解決に立ち向かう人間の成熟を求めました。芸術家木田金次郎は、自然の災厄による絶望的な状況におかれてもそこから立ち上がって、その経験を生かして人間的に成長し、すばらしい作品を残しました。君たちもどん底の状態にあっても希望を失わず、成長を続ける人間であってほしいと願っています。