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校長先生のお話

2010年10月25日のお知らせ

鳥の歌

 昨日の10月24日は「国連デー」でした。1945年10月24日に国連憲章が発効したのを記念して制定された記念日なのですが、今日の話は国連の話ではなく、今から40年近く前に「国連デー」の記念コンサートに招かれて「鳥の歌」を演奏したパブロ(パウ)・カザルスという人についての話です。

カザルスはスペインのカタロニア(カタルーニャ)地方出身で、20世紀最高のチェリストです。カタロニア地方は地中海とピレネー山脈に囲まれた地域で、ダリ、ミロ、ガウディといった錚々たる芸術家を輩出した地域でもあります。

カザルスが偉大だったのは、彼が19世紀までのチェロの奏法を一変させたことがまず挙げられます。それまでのチェロの奏法は今から考えるととても変な弾き方だったのですが、両腕を脇腹から離さないで弾くというものでした。これに対し、カザルスは腕を脇腹から離して自由に弾くようにしたのです。その結果ダイナミックに弓を弾くことができるようになり、また左手の運指にも余裕が生じ、音楽に深みと力強さが増しました。これがわずか12歳のときのことだったというから驚きですね。以後のチェロ奏者はすべてカザルスの奏法に従って演奏するようになっています。

さらに、今では多くのチェロ奏者が好んで取り上げている曲ですが、当時ほとんどかえりみられることのなかったバッハの無伴奏チェロ組曲に日の目をあてたこともカザルスの功績です。カザルスは13歳のとき、バルセロナの楽譜店でこの曲を見つけ、以後12年間毎日研究を重ね、25歳の時になってようやく公開演奏をおこなってこの無伴奏チェロ組曲を世に紹介しました。

カザルスは当時のヨーロッパ随一の演奏家とトリオを組んでさかんに演奏活動をおこなうようになりますが、やがてスペインに悲劇が訪れます。1936年に右派のフランコ将軍がモロッコで反乱をおこし、スペイン内戦が始まったのです。1930年代というと、ファシスト党を率いるイタリアのムッソリーニ独裁政権に続いて、ドイツではナチスを率いるヒトラーが政権を獲得するなど、ファシズム旋風が吹き荒れた時代でした。ファシズムに対抗するため各国で人民戦線が結成され、スペインでも人民戦線政府が成立しましたが、フランコは右派の支援を得て反乱を起こしたわけです。

カザルスは人民戦線の共和国政府を支援し、演奏活動で得た収入の大部分を人民戦線軍に寄付したそうですが、戦局はしだいに不利になっていきます。フランコ側にはイタリアやドイツが積極的に援助します。特にこの時、ドイツがおこなったゲルニカ爆撃はひどいものでした。ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を始めたドイツは、新しい空軍の威力を試すためもあってかスペインのバスク地方の小都市ゲルニカを空爆します。ゲルニカは、戦略的には何の重要性もない人口7,000人ほどの小さな町ですが、ドイツ空軍はこの町を無差別爆撃し、この結果1,600名以上を超える死者を出す惨劇となりました。この爆撃に衝撃を受けたピカソは、この直後に『ゲルニカ』という画を描き上げ、パリ万博に出展しドイツの蛮行を世に訴えたのです。

カザルスらの支援もむなしく、カタロニアの州都バルセロナは陥落し、やがてマドリードも陥落して共和国は瓦解し、以後スペインではフランコの独裁が30年以上続くことになります。カザルスはバルセロナ陥落の直前にフランスに亡命し、スペインとの国境に近いプラードという町に住居を構え、フランコが倒れるまでスペインには帰らないことを心に決め、この町を拠点にフランコ独裁政権に反対し、人権抑圧からの解放を世界に訴えていきます。第二次世界大戦後でもフランコを支持する国に対しては、もらった勲章を辞退したり、レコーディング契約を破棄したりします。

そのような活動してきたカザルスに、1971年国連が作曲を依頼してきました。このときカザルスは94歳でしたが、委嘱を受けて国連讃歌を作曲してこの日に披露し、また同時にベートーヴェンやストラヴィンスキーの曲を指揮しました。プログラムがすべて終わった後、指揮台を降りたカザルスは自分のチェロを持ってこさせて、聴衆に語りかけます。“これから自分は14年ぶりに公開でチェロを弾いてみようと思います。曲はカタロニア地方の民謡で、『鳥の歌』といいます。カタロニアの鳥は、「ピース、ピース、ピース」と鳴きながら飛ぶのです。『鳥の歌』はカタロニアの魂です。”カザルスはこう言ってから『鳥の歌』を演奏しました。今でも録音が残っていますが、ゆっくりとしたテンポで故郷のカタロニアへの想い、平和への思いを込めた切々とした演奏は本当に感動的で、カザルスの活動を知らない人でも心を打たれるそれこそ“魂の演奏”だと思います。

カザルスはフランコの死を見ることなく、1973年96歳で亡くなります。遺体はフランコの死後、カタロニアに戻り故郷のヴェンドレルに埋葬されました。

カザルスは偉大な芸術家であり、かつ平和を希求する魂の人でもありました。君たちの生き方の参考にしてもらいたく、紹介しました。これを機会にカザルスの音楽を聴いてみるのもよいでしょう。また、カザルスについての本も色々出ていますから、興味があればぜひ読んでみてほしいと思います。

(今回の話は、井上賴豊『カザルスの心』岩波ブックレット、安野光雅『カザルスの海へ』NHK出版、を参考にしました。)