在校生・保護者の方へ

HOME › 在校生・保護者の方へ > 校長先生のお話

校長先生のお話

2009年12月07日のお知らせ

創立記念日に寄せて

 先週の12月3日は六甲学院の創立記念日でした。創立記念日をいつに設定するかは各学校でそれぞれ異なっています。一般的には設立が認可された日、新校舎が竣工した日、あるいは創立記念式典を実施した日など、開校に関わる出来事を記念日とする場合が多いようです。

六甲学院の創立記念日の12月3日は、そのような開校に直接関係する日ではなく、カトリック教会で定めた聖フランシスコ・ザビエルの記念日が創立記念日にあてられています。今日は創立記念日に深く関わるフランシスコ・ザビエルの紹介をすることで、六甲学院の使命について考えてみたいと思います。

ザビエルはスペインのバスク地方の生まれで、パリ大学で司祭になるための勉強を始めました。ザビエルは「東洋の使徒」と呼ばれる聖人ですが、学生のころから聖人君子であったわけではなく、友人と酒を飲んで騒いだりすることの好きな人間味ある人物です。学資がなくなり、お金の無心をする手紙を書いたりもしています。

そのようなザビエルに強い影響を与えた人物がイグナティオ・ロヨラです。ロヨラは一種カリスマ性のある人物であったようで、彼の影響を受けた人物は何人もいます。哲学を学ぶか聖職者になるか迷っていたザビエルもロヨラに強く影響され、この後はロヨラと行動をともにすることとなり、ロヨラが創設する修道会であるイエズス会の創設メンバーの一人となりました。

イエズス会の目的はカトリックから離れたヨーロッパの地域をもう一度カトリックに戻すことと、新世界へキリスト教を布教することでした。ザビエルは新世界への布教の使命をおびてアジアに赴きます。ポルトガル船に乗ってインドのゴアに着いたザビエルは当地で布教し信徒を得ますが、やがて日本人のヤジロー(アンジロー)と出会います。彼の知的レベルの高さに驚嘆したザビエルはヤジローの故郷である日本への興味を抱くようになり、日本での布教をこころざし、ヤジローを伴って1549年鹿児島に上陸しました。その後ザビエルは、鹿児島、平戸、山口、大分で布教し多くの信徒を得たのち、中国に向かいますが、病を得て中国大陸を目の前にした上川島で生涯を終えました。

 ザビエルは、日本で学校を設立する望みを持っていました。日本での布教の許可をもらうため天皇に会見する目的で京都にまで来る途上、瀬戸内海を通って堺に着く間に一連の六甲連山も目に入ったことでしょう。その六甲山系の中腹に自分の名前を冠した学校が没後400年近く後に設立されるとはザビエル自身思ってもみなかったことでしょう。

ザビエルの生きた16世紀は「大航海時代」といわれ、世界の一体化が進んだ時代です。真のグローバルな世界史が始まった時代といえます。そのような時代にザビエルは日本にキリスト教という新しい宗教を伝えましたが、彼の活動はそれにとどまっていません。日本の若者をインドに行かせて日本人の視野を地球的規模に押し広げようとしたほか、これは実現しませんでしたが、高度な学識ある日本の仏僧をローマに送って教義論争をさせる構想も持っていました。このように、ザビエルは世界のグローバル化が始まる時に日本に新しい文化を紹介しただけでなく、日本を世界に紹介するための働きもおこなっているのです。

 六甲学院はイエズス会士であるザビエルの意志を継ぐ学校です。“Man for others”の精神を持って神戸で学ぶ君たちが、ザビエルにならい、神戸、あるいは日本にとどまらず、世界にその精神を発信していくことができるよう願っています。