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校長先生のお話

2009年11月16日のお知らせ

元アメリカ海兵隊員アレン・ネルソン

 今日はアメリカの元海兵隊員アレン・ネルソンという人の話を紹介します。彼はアフリカ系アメリカ人で、家庭が貧しかったので食い扶持を減らすためもあって海兵隊に志願しました。他の軍隊は徴兵制ですが、海兵隊は志願制です。当時、アメリカはベトナム戦争に介入しており、アメリカ国内では兵士はベトナムを共産主義から解放する「自由の戦士」ともてはやされていましたが、やっていることの実際はテロ行為と同じであったとアレンは言います。深夜、あるいは早朝、人々が寝静まっているときに村に火を放って、逃げ惑う村人を見境なく撃ち殺すわけです。武器を持っている兵士相手ではなく、無防備の村民を殺す、上官からは何も考えずにただ命令に従え、と言われる……。

幸い、アレンは命を落とさずに帰国できました。しかし、帰宅すると姉や妹は喜んで迎えてくれましたが、母親はアレンの顔を見るなり「お前は私の息子ではない」と言い放ったそうです。18歳で家を出て殺戮と暴行を積み重ねたことが、アレンの顔付きや表情を変えてしまっていたのでしょう。

戦場での非人道的な経験はあとから人の心を蝕んでいきます。もともとは人付き合いのいいスポーツが大好きなアレンでしたが、やがてまったく人と口をきかなくなり、一日中部屋に閉じこもってぼんやりするようになります。家の中を歩き回り、突然叫び声をあげたりするようになります。戦争後遺症、あるいはPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。ついに家族からも見放され、「家を出て行ってほしい」といわれてしまいます。しかたなく、以後、街の古びた空きビルに入り込んで野良猫と一緒のホームレス生活をするようになりました。

そんなある日、アレンは高校の同級生に出くわしました。彼女は大学を出て小学校の先生になって4年生を教えていました。彼女はアレンがベトナム帰りであることを知っていて、自分のクラスの子どもたちに戦争について話してくれるように頼みました。アレンは、子どもたちに自分のやってきたことや見たことを話すことができるわけがないと断りました。しかし、子どもたち一人ひとりに書いてもらった手紙を持参して再度頼みに来た彼女の熱意に負けて、アレンは戦争体験を話すことにしました。しかし、戦場で見てきたこと、やってきたことをありのままに語ることができず、戦争一般の恐ろしさをぼかして語るにとどまりました。質疑の時間になり、ひとりの女の子が立ち、アレンをまっすぐに見詰めてこう聞きました。
「ネルソンさん、人を殺したんですか?」

アレンはすぐには答えられませんでした。本当のことを言うと、子どもたちは自分を大悪人かモンスターかと思って皆逃げ出すかもしれない……。しかし、子どもたちの素直な顔を見ていると嘘をつくわけにいかず、目をつぶってやっとの思いで。「イエス……」と答えました。

すると、驚くべきことに、子どもたちは逃げ出すどころか、立ち上がって一斉に自分のところに駆け寄ってきて、一人ひとりがしっかり抱きしめてくれたそうです。「鬼の目にも涙」といいますが、アレンは泣いてしまいました。

 この出来事がアレンを立ち直らせます。病気を治して戦争の真実を語ろう……。完全に立ち直るにはそれからなお15年以上の治療が必要でしたが、アレンは戦争体験を語る「語り部」として活動するようになり、現在に至っています。

私たちは、戦争はいけないものだと知っています。しかし、それは平和な場所にいて理想論的に語られる部分がないでしょうか。最前線で死ぬか生きるかの瀬戸際で上官の命令で無実の非戦闘員も殺さなければならないような状況に追い詰められた兵士のおぞましい体験から出る肉声は、すさまじい説得力を持って私たちに戦争の残虐さを教えてくれます。

君たちが戦争について考えるとき、今日の話をぜひ参考にしてほしいと思います。

(今回の話は、アレン・ネルソン『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』憲法9条・メッセージ・プロジェクト編集・発行、からの紹介です。)