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校長先生のお話

2013年04月度のお話

2013年04月度のお話です。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

2013年04月08日

入学式式辞

 先週行われた中1オリエンテーションのころには満開であった桜の花も昨日までの雨と風で散々な目にあってしまいましたが、それでもそれにも耐え、一生懸命花びらを維持して今日の入学式を祝ってくれる桜もあり、晴れ渡った絶好の天気とも併せて気持ちのよい入学式を迎えることができました。

 76期新入生の皆さん、ご入学おめでとう。 先週行われたオリエンテーションでは、当初不安で緊張した顔つきの生徒も見受けられました。 新しい生活が始まるときは誰でも多少は不安があるものです。 私が中学に入学した時のことですが、入学式で隣に座っていた生徒から「友だちになってくれる?」と声をかけられたことがありました。 こちらも不安な気持ちがあったので、もちろん「いいよ」と答え、それから彼とは家まで遊びに行くような仲の良い友だちになりました。 いい友だちはすぐできます。 たくさん友だちをつくって充実した学校生活を送ってください。

1937年に設立認可され、38年に第1期生を迎えた六甲中学校はこの3月で75周年となり、今年の4月から76年目に入りました。 つまり、25年を一区切りとして見たとき、六甲は新たな25年のスタートを今切ったことになります。 君たち76期生は新しい25年の歴史を刻む年に入学した学年ということになります。

君たちは先週行われたオリエンテーションのときに廊下の床も磨いたことと思います。 君たちは知る由もありませんが、新校舎の廊下の床は旧校舎と寸分たがわない造りになっています。 卒業生が来てこれを見たとき、これは旧校舎のものを移して使ったのだろうと思った人が何人もいたほどです。 ですが、完成した時点で私が感じた印象は旧校舎の床よりくすんでいるように思えました。 このことについて、新校舎の設計をした設計会社にいるOBに尋ねたことがありました。 そのとき彼は、洗いだしの磨きは人間の手や足で70年にわたって磨きこんできた旧校舎の床とは差があるもので、新校舎の床もこれから生徒が思いを込めて磨いてくれることで初めて完成する、このことを後輩の皆さんにぜひ伝えてください、と書いてくれました。 このとき、彼は同時に、20世紀を代表する彫刻家・造園家として有名なイサム・ノグチの話を紹介してくれました。 イサム・ノグチは、彫刻の石の仕上げ磨きには決まってある年老いたおばさんを指名されていたそうです。 事情をよく知っている生身の温かな人間の手で磨く方が無機質な機械で磨くより存在感のある輝きが得られる、ということでした。

君たちも、75年の伝統のもとで輝いていた旧校舎のように、この六甲での6年間、自分を磨きこんでください。 そして6年間を通して温かみがあり存在感のある輝いた人間に成長していってほしいと願っています。

さて、君たちが入学した六甲とはどのような学校なのでしょうか。

君たちは校舎南の人工芝グラウンドの中央に白いロゴマークがあるのを見たことでしょう。 円形のマークの中央にIHSという文字があり、その下にはローマ字でROKKOと記されているロゴマークです。 これは六甲学院の紋章です。 ただ、ROKKOという文字を取り去った場合、この紋章はイエズス会という修道会の紋章になります。 六甲はイエズス会の経営する学校ですから、イエズス会の紋章のIHSを中央にあしらい、これにローマ字の“ROKKO”を加えて六甲学院の紋章としたわけです。

では、中央部分のIHSとはどのような意味の言葉なのでしょうか。 これはイエス・キリストを意味するギリシア語の最初の3文字をローマ字で表記したものです。 つまりイエズス会の紋章は、イエス・キリストを中心においた紋章なのです。 このことから、イエズス会とはイエスを自分たちの生き方の模範とする姿勢を持った修道会だということが理解できると思います。

イエス・キリストという方は「仕えられるためではなく、仕えるために私は来た」と言われました。 中学1年生には分かりにくいかもしれませんが、これは人々から王のように崇められる、あるいは人の上に立って自分のために他の人を動かす、そのために来た、ということではなく、「他の人々のため、特に社会の片隅に追いやられた弱い人たちのためにこの世に来た」という意味です。 このキリストの生き方を模範にして創られた修道会がイエズス会で、そのイエズス会が日本で初めて創った中等教育学校が六甲です。 すなわち、六甲は「他の人々のために生きる人間」を育てる学校だということです。 これを“Man For Others”といいます。 君たちは今、“Man For Others”を教育理念に持つ学校の生徒になりました。 これを忘れないでください。

現在、日本は政治・経済・外交、色々な面で厳しい状況に置かれていることは君たちも感じていることと思います。 それらの状況を打破するために各界の有識者の人たちがそれぞれの立場から提言を出していますが、私が目にする限りでは「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」の二つを挙げる方が多いです。
「弱者を支える」人間、これはまさに“Man For Others”です。 “Man For Others”は今の社会に求められている人間像でもあるわけです。

グラウンドのIHSマークに戻ります。 キリストを意味する文字の入った六甲学院の紋章、そのような大事な紋章を踏みつけることに抵抗感のある人がいるかもしれません。 そのことについてはどう考えればよいでしょうか。

先ほどの校舎の床磨きの話に関連しますが、ヨーロッパのクロアチア共和国には世界遺産に指定されているドブロヴニクというとてもきれいな町があります。 クロアチアは独立宣言を出した後の内戦で戦火に見舞われ、建物や城壁など大きく破壊されましたが、この町の石畳は六甲の旧校舎の床よりはるか以前の14世紀から市民の足で磨きこまれ、それは美しく温かい光を今でも放っています。

君たちは人工芝のグラウンドの上で様々なことを経験するでしょう。 朝礼がある、中間体操が行われる。 休み時間には遊ぶ、体育の授業で使う、クラブ活動で使う……。 そのように君たちが使うグラウンドにはいつもIHS(イエス)が刻まれています。 これをどんどん踏み、成長の糧にしてください。 ドブロヴニクの石畳が人に踏まれて輝きを増していったように、君たちは何度もこの文字を踏み、イエスの言葉「私は仕えられるためではなく、仕えるために来た」に輝きが与えられるよう、自分を磨きこんでほしいと思います。

六甲での6年間を通して、友だちや先輩と切磋琢磨しながら自分を磨き、「他の人々のために生きる人間」に成長してくれることを願っています。

 最後になりましたが、新入生の保護者の皆様、本日はご子息のご入学、おめでとうございます。

 六甲学院は、75周年に際し、最新の設備を備えつつも旧校舎の面影を多く残す新校舎を作りました。 このことが象徴しているように、六甲学院は、この世には変わらないもの、変えてはならないもの、永遠なるものがある、そのことを常に考えて生きる若者を75年にわたって育ててきた学校です。 私たちは、ご子息が欠点も含めたありのままの自分を素直に受け入れ、と同時に他の人びとの存在も肯定的に受け入れる人間になってくれることを願っています。 そして、強い意志力をもって真理を探し求める姿勢を持つことで、よりよい社会を作り上げる意欲を持つ人間に育ってくれることを願っています。

私たち六甲学院の教職員はご子息を大切にお預かりし、6年後には今述べましたような志向性をもった若者に成長してくれるよう全力をあげて取り組んで参ります。 保護者の皆様方におかれましては、どうぞ六甲学院の教育にご理解を賜り、ご協力をお願いいたしたいと存じます。

ご子息と保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。

2013年04月10日

1学期始業式

 3学期終業式から20日ほどしか経っていませんが、随分学校の雰囲気が変わりました。 講堂棟の改修が終わり、第2グラウンドの人工芝生化もほぼ完成しました。 グラウンドの真ん中には六甲学院のロゴマークが入りました。 外構工事も終わり、緑が随所に植えられてきれいになりました。 そのようなことから学校全体に落ち着きが出てきたようです。 それを受けて浮き浮きした気分になったのは私だけではないのではないでしょうか。 私には今年の桜はことさらきれいに見えました。

昨年一年間は75周年、75周年と言い続けてきました。 そして今、76年目に入りました。 新たな25年の始まりです。 今年卒業した70期生は大学受験、がんばってくれました。 後に続く後輩に大きな自信を与えてくれました。 君たちにとって励みになったことと思います。 そのような昨年度の成果を背景に、力強く希望を持って前に進んでいく年になってほしいと願っています。

さて、年度初めにあたって、今日は“Man for Others”に続く“With Others”について考えてみたいとおもいます。

現在、日本は政治・経済・外交、色々な面で厳しい状況に置かれていることは皆知っていると思います。 それらの状況を打破するために各界の有識者の人たちがそれぞれの立場から提言を出していますが、私が目にした範囲では、立場や力点の置き方はもちろんそれぞれ違いますが、通奏低音のように聞こえてくるのが、「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」の二つです。

「弱者を支えることの大事さ」と「小規模でもいいから同志(仲間)を増やすこと」、これは“Man for Others With Others”の姿勢とぴたりと一致します。 そういえば、東日本大震災後よく耳にした「絆」はまさに“With Others”そのものですね。

ひとりでも現状を変える力があることはもちろんそのとおりです。 私も1年半ほど前に谷津干潟のごみ拾いをした森田三郎さんの例を紹介しましたね。 鳥が棲息するまでに谷津干潟がきれいになった運動の口火を切ったのは森田さんで、このような人が増えると社会はもっと変わると思います。 ただ、森田さんのやっていることを見て近くに住む主婦が手伝うようになり、賛同者の輪が広がっていったことが大きな成果につながったことも事実です。

“With Others”のOthersには二つの側面があります。 支えてくれる仲間としてのOthersと、立ちあがった人、孤立無援の人を支えるOthersに自分がなること、つまり自分がOthersであること、の二つです。

旧約聖書の「イザヤ書50章8-9」に次のような言葉があります。

「わたしの正しさを認める方は近くにいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか  われわれは共に立とう。
誰が私を訴えるのか  わたしに向かってくるがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めよう。 」

ここでは、正しさを認める「誰か一人」がいること、助けを求める人にとって共に立つ仲間がいること、このような仲間がいれば立ち上がった人は勇気づけられることを説いています。 そして、そのような人間を「主なる神は助けてくださる」と結んでいます。 共感する仲間を作ることとともに、正しさを認める「誰か一人」になることの大事さにも気が付いてほしいと思います。 支えるOthersに自分がなれるようになりたいものです。

少し角度を変えた話をします。 最も感動的で幸福な瞬間を至高体験とか、ピーク経験といいます。 試合で優勝した、志望校に合格した、文化祭や体育祭を成功させた、などのときに味わう感動経験のことです。 至高体験は人間にとって非常に大切な体験で、これにより人間は成長していきます。

至高体験は、たとえば独りで山登りをして感動的な景色を見たときなど、独りで経験する場合ももちろんありますが、日本の子どもを対象にした聞き取りによると、家族や友達など親しい人がいるときに経験することが多いとの結果が出ています。 気心を許せる間柄の人間がいるときに経験することが多いということです。

「人間の成長」という観点からも“With Others”はとても大事な姿勢だということが分かります。 今年は、“Man for Others”の後に続く“With Others”についても意識していってほしいと思います。

毎年、年度初めにこの1年の目標をあげ、目標に向かって君たちにがんばってもらっていますが、今年度の目標は“With Others”に大いに関係する要素である「発信力」をあげることにしました。 つまり、協働のためにはまず自分の考えていることを相手に伝えて理解を得なければならないわけです。 ある国際会議に出席してスピーチをした日本人が、質問が何も出なかったので、自分の話に皆感心していたと思った人がいましたが、これはそうではなく質問がないのは質問するほどの内容がなかった、ということだったのです。 内容のないスピーチ、プレゼンでは相手にされない、つまり共感もされず仲間の輪も広がりません。

そのような意味も含めて、今年は「発信力」を高めることを意識し、さまざまな活動も「発信する場」としての位置づけをしながら積極的に関わってください。

これまで目標にしてきた「挨拶・マナー」や「授業に向かう姿勢」については、良くなりましたが、完璧に達成したわけではないので、これらについても引き続き努力してください。

 では、今年度、力強く希望を持って前を向き、張り切って学校生活を送ってください。