赤ちゃんを放り投げる
最近は自分の子を虐待して死なせたり、欄干から川に突き落としたりする親がいて寒々しい事件が多いですね。しかし、逆に人間の愛情の深さを知ることのできる出来事も世の中にはたくさんあります。今日は少し昔の話ですが、第二次世界大戦のころのエピソードを一つ紹介します。
第二次大戦末期、ドイツ南部のダッハウへ向かう貨物列車の貨車の換気窓から、毛布にくるんだ赤ちゃんが放り投げられました。赤ん坊を放り投げる、これは欄干から子どもを突き落とすのと同じでとんでもない親だ、と思うかもしれません。でも事情はまったく違います。
実はダッハウはナチス・ドイツの強制収容所があった場所でした。この貨物列車にはユダヤ人絶滅計画によってダッハウに送り込まれるユダヤ人たちが家畜のように押し込められていたのでした。ダッハウに入ったが最後、二度と戻ることはできません。赤ちゃんのお母さん(お父さんも同意したでしょう)はこのとき悲痛な決心をしました。収容所の門を入れば二度と戻れない、ならば救ってもらう可能性がゼロではないのだからわが子を窓から放り投げよう……
幸い柔らかい草むらに落ちたので、この赤ちゃんは怪我ひとつせず村の女性によってエリカと名付けられ、密かに育てられました。
この女の子は後年、自分を投げ捨ててくれた親のことを知るでしょう。それを知った子どもは親の愛情の深さに感動します。エリカはこの経験だけでこの後の人生を強く立派に生きていくことができると私は思います。
もう一点、注目したいことがあります。それは、育ててくれた村の女性、かくまってくれた村人たちのことです。ナチス支配下のドイツにおいてユダヤ人の子をかくまうことは大変な勇気が要ります。それを村人たちみなが協力したわけで、この人たちの親切、勇気によって一人の赤ちゃんの命が守られたのです。
私はこのような人たちが実は世の中に多いことを信じたいと思います。君たちも当然その中に属する人間であると思うし、そうあってほしいと願ってもいます。
[今回の赤ちゃんを放り投げた話は、柳田邦男氏の『石に言葉を教える』(新潮社)のなかで紹介されていたものです。興味のある生徒には一読を勧めます。]