少し前の読売新聞に紹介されていましたが、アメリカの音楽業界には「アンダー・スタディ」という仕事があるそうです。これは舞台の歌手が病気などで出演できなくなった時、代役を務める人のことで、休演した場合に備えて同じ歌や踊りを練習しておく仕事です。いつ出番が来るか分からないし、結局出番がないまま終わったというケースもあるだろうから、モチベーションを維持し続けるのは大変な仕事だと思いますが、ここで努力し続けて業を磨き、スターの座にのし上がっていく人もいます。往年の人気歌手にペリー・コモという人がいましたが、彼の父が危篤だという急報が届いたため、代役を立てて郷里に帰る手はずを整えた。旅立つ前に念のため代役の稽古を見に行くと、恐ろしく歌がうまい。それを見て、ペリー・コモは帰省を取りやめたそうです。留守の間に役を奪われるのを警戒したということです。スター歌手が恐れるほど上手に準備をする「アンダー・スタディ」もいるわけです。ちなみにこの恐ろしく歌の上手であった無名の青年の名はアンディ・ウィリアムズといいます。後に大歌手になっていく人物です。
クラシック音楽の指揮の世界でも代役の仕事があります。アシスタント指揮者というのがそれで、小澤征爾さんは下積み時代、ニューヨーク・フィルの指揮者レナード・バーンスタインのアシスタント指揮者の仕事をしていました。アシスタントは正指揮者が急病などで指揮棒を振ることができなくなった時に指揮をすることがあります。また、練習に指揮者が来られなくなった場合にも代わって指揮をします。小澤征爾さんはいつでもバーンスタインの代わりができるようにバーンスタインのリハーサルの時は常に聴くようにしていたし、スコア(総譜)も徹底的に研究しました。そして彼のすごかったことは、バーンスタインほどの指揮者になればアシスタント指揮者を複数持っているわけで、具体的には3名いたのですが、小澤征爾さんは他の2名のアシスタント指揮者に任されていた曲についてもスコアを読み込んで準備していたのです。アシスタントまでもが指揮台に立てない状況があるかもしれないということを想定してのことだったそうです。
このような若いころの血の滲むような努力が実を結んだのだと思います。バーンスタインはカーネギー・ホールで黛敏郎の曲を振る予定のところを取りやめて小澤征爾に振らせ、続く日本公演でも小澤征爾に指揮を一部任せました。こうした機会を得て小澤征爾は次第に評価されるようになっていったわけですね。
さて、「アンダー・スタディ」は今の君たちにとっては関係のない話でしょうか。そうではないと思います。代役こそないかもしれませんが、誰かがやっていることを自分とは無関係だとして何も考えないのではなく、もし自分がやることになった場合はどうするか、ということを常に考えておくとこれは随分力がつきます。たとえば生徒朝礼で他の生徒が前に立って話をしている、そのとき自分ならどのように話をしようか、どうすれば皆にアピールできるような話し方ができるだろうか、と考えながら聞く。授業でも、順番に質問が回っているとき、自分には回ってこないから、と気楽に聞き流すのと、自分が質問に答える番だと思って身構えて考えていくのとでは大きな違いが生じます。
どのような場合でも常に自分が「アンダー・スタディ」、「代役」のつもりで物事に取り組んでいくと予想以上の成果が得られることと思います。ぜひ、そのような習慣を身につけてください。